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戯れか諍いなりやコサギ舞ふ [永井荷風関連]

kosagi2wa_1.jpg 表題句・写真には関係なく、以下は昭和15年の俳句についてのメモ。戦時色濃くなった同年12月22日の永井荷風「断腸亭日乗」に以下の記述があった。「世上の噂をきくに、発句をつくるものども寄り合ひて日本俳家協会とやら称する組合をつくり、反社会的または廃頽的傾向を有する発句を禁止する規約をつくりし由。この人々は発句の根本に反社会的のものあるを知らざる如し。俳諧には特有な隠遁の風雅ある。隠遁といひ閑適と称するものはこれ即ち発句独特のさびし味なり。即さびなり。もしこれを除かば発句の妙味の大半は失はれ終わるべし。芭蕉の生涯と、その吟味と文章とを見なば今更片言隻語を費やすの要なし。」

 荷風句が好きだなぁと感じるのは、それら句の背後に隠遁、隠棲、閑適、閑寂の味があるからだと改めて気が付いた次第。荷風さんの生き方は、まさに隠遁そのもの。いつぞや俳句本読書で「わび・さび」の意がよくわからなかったが、これで何となくわかったような。きっとそこに諸行無常か。

 俳句史をひもとけば、昭和15年は戦時下で俳人弾圧があった年。この年に設立された日本俳家協会とは「日本俳句作家協会」で会長は高浜虚子。荷風さん、そんな輩らをはじめ文人らとも無縁の見事なまでの隠遁暮しを貫いている。虚子を継ぐ俳人に銀行員や医者や学者や役人や大手企業勤め人らが多いが、彼らの生き方もまた荷風さんとはほど遠い。


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