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ニュータウン遺った緑のルリビタキ [私の探鳥記]

ruribitaki5_1.jpg あたしの鳥撮りは自宅・新宿から1時間圏内、東京郊外が主。川本三郎による「東京郊外」はこうだ。

…東京の郊外は、大正十二年(1923)の関東大震災のあとに開けていった。とくに杉並区や世田谷区などの西への発展という形をとった。戦後の高度成長期に、それがさらに西の多摩地区や、周辺の埼玉や神奈川へと広がった。当初の郊外は「一戸建ての郊外」だったが、それが昭和三十年代には「団地の郊外」、さらに昭和四十年代以降は「マンションの郊外」へと変わっていった。(「言葉のなかに景色が立ち上がる」より)。

 新宿から1時間というと、ここで記された「一戸建て・団地・マンション混在の郊外」の、ニュータウン建設で遺された緑(公園)での鳥撮りってことになる。鳥撮りを始めて、初めてそうした郊外景色を眼にして妙な感慨に襲われる。永井荷風は明治の都市化にとり遺されたさびれた光景に去りがたくなる感慨を求めて「日和下駄」を著した。あたしの郊外体験はそれとは逆の「あぁ、都心から離れたこんな地にもビッシリと人の営みが…」という妙な感慨だ。その意では、あたしの鳥撮りはニュータウン散策でもあり。そんな鳥撮りポイントには行けば、必ず地元の鳥撮りに逢う。ニュータウンでの希望に満ちた暮らしを経ただろう隠居世代たち。このルリビタキはそんな郊外に遺された緑(公園)の野鳥観察小屋で、双眼鏡だけの老婆と共に世間話をしながら撮った。


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