幼きひ造兵廠へ肝試し [散歩日和]
左写真は「加賀藩下屋敷絵図」北側一部。思うに赤丸辺りが生家。下屋敷は池泉回遊式庭園で約22万坪。明治に「板橋火薬製造所」になり「東京第二陸軍造兵廠」へ。この北角辺りに帝京高校が出来たのが昭和22年。
子供時分に帝京脇の石神井川から「造兵廠」跡にもぐり込むのが冒険、肝試し。「スタンド・バイ・ミー」だった。記憶が正しければ火薬を造っていたから、建屋ひとつひとつが高い土手で仕切られていた。レンガ造りの廃屋巡り。壁に精緻な春画が描かれていたりで、怪しい大人が屯っていたりと、そこは未知と恐怖の世界だった。
石神井川は未だ護岸工事前で、深い谷に降りられた。ここでヒルを捕るとタナゴに換えてくれる変な店があった。川は昭和33年の狩野川台風をはじめよく氾濫した。クラスメイトの何人もの家も浸水した。過日、まったく久し振りに自転車でこの辺を彷徨えば、川沿いは美しい散策路に変っていてコガモ、オナガガモ、カルガモの番がいた。昭和はあまりに儚く、江戸が透けて見えた。
2011-04-03 08:15
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