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伊豆大島「砂漠」の謎(その3) [週末大島暮し]

kassodao1_1.jpg 写真は平成5年発行「伊豆大島懐かしの写真集」より「滑走台(スライダー)」。当時の大島には画期的施設だったろうが、その実態はどうだったのだろう。当時の「島の新聞」から滑走台関連記事を拾ってみたが意外に記事数が少ない。なぜだろう・・・。

 同紙に「滑走台」が最初に登場したのは昭和九年十月廿八日号。見出しは「滑走台の改造着手」。以下本文。「野増村ヒチヒに於ける滑走台は従来の不備の点を改修するため休業中なりし処本月初旬より大改造に着手。来る十一月三日明治節を期して五十坪平屋建一棟八十五坪平屋建一棟の上棟式を行ひ十二月中旬までに竣工の上来春より華々しく開業の予定なる由」。この二棟は外輪山の基点、三原山中腹の終点の建物だろう。

 翌年三月廿五日号には、野増村青年団員が同村より滑走台終点までの自動車道路十五丁の修繕奉仕を慣行した報。道路拡張と急傾斜を削ってトラックが登れるようになり、その経費百六十円。九十円を滑走台経営者が、六十円を各自動車会社が、十円を村民有志が寄付。

kassodaikiji.jpg 滑走台は島民に大歓迎・期待された事業と思いきや、今度はこんな記事が出た。昭和十一年六月七日号の見出しは「滑走機の引揚げに乗馬組合が反対~流入資本に対する島民の生活問題として注目さる」。以下、本文要約。「夏期の遊覧シーズンを目前に滑走場経営者がこれをケーブル式にして、人を山頂に引揚げる開業出願を警視庁に提出。これに対して人を馬で運ぶ地元乗馬組合が猛反対運動を展開。流入資本vs島民の闘争になったとか。

 そうこうしているうちに事故報が載る。「スライダーで追突 乗客重症を負ふ 不注意極まる滑走場」。本文は概ね以下の通り。「東京淀橋区の某君は三原山滑走場のカーに乗り、基点から約百五十米位まで降下した際に、後方から疾走のカーに追突され打撲傷を負った。同場では三日前にも降下中の某氏がカーブで路線外に投げ出され全治二週間の裂傷・・・」。

 それでも昭和十二年八月号より同紙の「大島遊覧のイラストマップ」には楽しそうな滑走台が描かれ出しているから、その後は順調に営業されたと推測される。しかし昭和十七年になると戦火厳しく、島民にも鉄銅製品供出が始まった。滑走台レールも徴収されて「滑走台」の姿は消えたらしい。

 今思えば、昭和十年にして「ナチュラル・ジェットコースター」のビッグアイデア。成功していれば、これを機に伊豆大島は「スーパーレジャーアイランド」になっていたかも知れない。


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