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大田南畝(蜀山人)の生家は(その2) [大田南畝(蜀山人)関連]

okatigumi2_1.jpg 永井荷風さんの旧居跡を訪ねたら、次は荷風さんがリスペクトしてやまず年譜作りまでした大田南畝(蜀山人)の旧居巡りに小チャリを駆らねばなるまい。

 あれは昨年1月5日のブログ。「大田南畝(蜀山人)の生家」題名で、「…新宿区は史跡看板を建てなさいよ」とつぶやきて、改めて「大田南畝 生家」と打ち込んでGoogle検索してみれば、空しく己の記事がヒットするばかり。このままじゃ余りに淋しいってもん。ゆえに(その2)として、もうちょっと探ってみることにしませう。検索を「大田南畝 生誕地」と言葉を変えてみれば何件かヒットして、さも史跡標示があるような記述あり。「新宿文化絵図」(新宿区地域文化部編集・発行)にも牛込中町の「宮城道雄記念館」脇(袋町側)に「大田南畝誕生の地」の記入。ありゃ、史跡看板を見落としていたのかしら…

 改めて小チャリを駆って牛込中町に行ってみた。ウム、やはり案内板は見当たらない。この辺は絵図(上)のように御徒組・組屋敷に間違いないゆえ、この区域内に大田南畝が56歳まで暮らした家があったんですよ…くらいの史跡案内があってもいいのにと思うんですがねぇ。絵図中央に北御徒町(現・北町)、中御徒町(現・中町)、南御徒町(現・南町)。中町端の「宮城道雄記念館」前が「中町公園」(写真下)で、懐かし井戸まであって設置場所はここがいいかなぁと勝手に思ったりした。帰宅後に改めて図書館検索すれば「な・な・なんということでしょうか!」 鈴木貞夫著「大田南畝の牛込中御徒町住所考」なる資料があったではありませんか。それも中町図書館に一冊だけ。図書館の場所を調べれば古地図の御徒組内。再び小チャリを駆って牛込中町へ…。

nakamatikouen_1.jpg 同資料は30頁に満たぬ小冊子で、著者の住所・電話番号入りの自主出版資料。あたしのように上っ面だけ探るのではなく、コツコツと古資料調べの尊敬すべき方々がいる。氏は南畝「巴人集」に「…牛込中御徒町木戸キワ」の文言を見出し、絵図に描かれた木戸を指摘。加えて南畝の後任御徒の「屋敷渡預絵図証文」を見つけ、松島重右衛門の地に南畝の屋敷、借地していたことを特定せり。それは予測した現「中町公園」(写真)の斜め前辺り。

 さらに面白かったのは南畝の長姉の嫁ぎ先は鉄砲玉薬同心野村新平で、大久保御箪笥町(箪笥町は牛込だけでなく大久保にもあり)の組屋敷内。野村新平の名入り絵図を紹介して、それは現在の大久保○○○○とあった。ふふっ、我がマンションから明治通りを渡ってすぐの○○○さんちじゃないか。また南畝が勘定支配になって拝領した屋敷が余丁町の地(現在は中華屋さん)で、それが気に入らず夏目金之丞の土地と交換。この「相対替御書付書抜」と、淡路坂の「夏目金之丞」の名入り絵図も紹介。ここが大田南畝の終の屋敷となった駿河台・淡路坂「緇林楼」。妾の「お香」を伴って市村座で芝居見物。翌日にひらめの茶漬けを食って熟睡しそのまま永眠。75歳の生涯を閉じた屋敷。

 さて、猛暑のなかを三度の出動。かかぁの「そんな自転車でまたお出かけかぇ。熱中症になっても知らないよぅ」の声を背に、今度は牛込北町から市ヶ谷と飯田橋間の外堀(絵図の右側)に出て、御茶ノ水は聖橋から昌平橋への淡路坂に小チャリを駆れば…。話が長くなりそうなんでまた明日。


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