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本郷館と林芙美子? [新宿発ポタリング]

hongokan1_1.jpg 7月30日の朝日新聞・夕刊に「本郷館解体へ」の記事。築106年(明治38年建築)の本郷の下宿「本郷館」が7月いっぱいで取り壊されることになった。関東大震災や東京大空襲にも耐えたが、老朽化が激しくて・・・とあった。

 おや、先日の谷中墓地掃苔後に「言問通り」から「白山通り」に抜ける坂道で、崖上の本郷館を撮ったばかり。偶然ながら最後の本郷館。そして記事本文に「林芙美子が住み」という記述。実は昨日、雲行き怪しいなか下落合辺りのポタリングで、中井駅近くの「林芙美子記念館」を150円で見学したばかり。

 夕刊を見た後で、本郷館でネット検索すれば「東洋大学生と本郷館で同棲。その部屋は、島田清次郎がかつて住んでいた部屋だったという」の記述あり。ホントかいなぁ。新聞にも<林芙美子が住んだ>の記述で、その出典がないからちょっと信用できぬ。面倒だが調べたくなってくる。 

 まず川本三郎「林芙美子の昭和」巻末の「林芙美子略年譜」をひもといた。大正13年(1924)21歳の項を抜粋引用する。「上京して中野区上之原の近松秋江宅に女中として住み込んだが、二週間ほどでやめた。またセルロイド工場の女工、毛糸店の売り子、区役所前の代書屋の手伝い、事務員、すし屋の女中、カフェーの女給として働き、尾道の両親の生計を助けた。」

 まぁ、逞しき生活力。そして今度は男遍歴になる。「三月、小柳京二が本郷初音町の詩人で新劇俳優であった田辺若男の下宿に芙美子を連れてくる。二人は田端で同棲。(中略)。六月、田辺の公演を観るが、田辺の相手役の女優が愛人とわかり別れ、東洋大学学生と本郷の下宿屋で同棲。七月、ダダイズム雑誌「ダムダム」同人の東洋大学学生神戸雄一の出資で、友谷静栄と同人詩誌「二人」を刊行。(中略)。十二月、野村吉哉と親しくなり、本郷の下宿屋を出て多摩川べりの小さな借家で同棲」。

 んまぁ、1年で3人の男と同棲。思わず「凄い!」と唸ってしまった。で、本郷館だ。この年譜には本郷の下宿屋とあるも本郷館とは記されていない。面倒だったが新潮文庫「放浪記」をパラパラとめくってみたが、やはり本郷館の名は出てこぬ。朝日新聞の<林芙美子が住み>は、どんな資料からか? ねぇ、教えてぇ。

 ★追記(1):神戸雄一をネット検索すると「みやざきの百一人」に神戸雄一の項あり、こう記されていた。「神戸は本郷にあった追分館という3階の下宿にいて、そこには同せいのうわさのあった俳優の田辺若男と林芙美子や林政雄、萩原恭次郎などが出入りしていた」

 ★追記(2):川本三郎「林芙美子の昭和」には、書店・南天堂の二階のレストランがダダイストやアナーキストの溜り場だったことや「本郷・第七初音館」にいた田辺若男と林芙美子のこと、さらに同人詩誌についても多数書籍・雑誌引用で詳しく書かれているが、やかり「本郷館」は見いだせぬ。

 ★追記(3):「放浪記」第2部の(二月×日)に、川端画塾の隣の三階のアパートに引っ越して十日あまり・・・と記したアパート暮しの記述があるが、これも「本郷館」ではない。


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