SSブログ

鉄砲と自転車と野鳥の相関関係 [私の探鳥記]

mozu&kanban1_1.jpg 昨日、ひょんなことで「貞奴」関連本探し。すでに4冊は読んでい、他にないかしらと探索し、新たな3冊を借りたが、しっかり書かれたのは1冊のみ。図書館検索からネット検索したら、なんということでしょ・・。茅ヶ崎市で「川上音二郎没後100年・川上貞奴生誕140年」記念イベントで、先日まで「貞奴とその時代の自転車展」つぅのが催されていたのにビックリ。今夏「徳川慶喜は自転車好きだった」(その1~3)を記したあたしのアンテナがビビッと反応した。

 川上夫妻が帰国後に住んだのが茅ヶ崎で、そこで貞奴が自転車の練習をしたという記述がどこかにあって、貞奴が乗っただろう当時の茅ヶ崎の自転車を展示したものらしい。そんなネット巡りから「日本自転車史研究会」のサイトに辿りついたら、貞奴が晩年に夫婦然と暮らした福澤桃介が自転車ビクター号を前にした写真があった。で、面白いと思ったのは貞奴関連ではなく、概ね以下の記述だ。

 ・・・宮田自転車の創業者も、静岡(慶喜移住地)で発見された国産ダルマ自転車を作った人も鉄砲鍛冶師だった。宮田自転車は本所区菊川町で鉄砲工場を建て、日清戦争で大量受注。その後も狩猟銃が売れたが、明治34年の狩猟法改正で売れなくなった。そこで同年10月から自転車製造を始めた。鍛冶職人~鉄砲作り~自転車作りの流れがあったとは驚いた。

 そして、、その変遷の裏に鳥獣保護があった。明治28年(1895)に狩猟法制定。明治34年(1901)に鳥獣の保護繁殖を目的とする禁狩区制度創設。大正7年(1918)に狩猟法全面改正。とは言え密猟は止まらぬ。中西悟堂らが「日本野鳥の会」を設立したのが昭和9年(1934)で、彼らの熾烈な戦いで野鳥をはじめ鳥獣保護が浸透して行った。

 かくして「鉄砲と自転車と野鳥」の相関関係が浮上した。ねっ、だから鉄砲ならぬ超望遠レンズを背負い、自転車に乗って野鳥撮りに行くってぇのは道理にかなってんですよ。この辺を調べるのも面白そう。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。