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迷い入る六区ネオンもセピア色 [新宿発ポタリング]

arizono_1.jpg 根岸・子規庵の机を見て、浅草の京伝机塚へ。石碑裏には大田南畝による山東京伝の略歴が刻まれていた。南畝と云えば永井荷風になる。荷風の「大田南畝年譜」をはじめで南畝好きになった方も多かろう。そして荷風さんの浅草と云えば飯田屋、尾張屋、アリゾナ、ロック座か。あたしは「アリゾナ」(写真)で遅い昼食を食った。

 楽しいポタリングだったが、♪~行きは良い良い帰りは恐い~。下町から山の手への帰りは坂を幾つか越える。ひたすらペタルを漕いでいたら、ふと若き日の浅草体験が甦ってきた。

 昭和40年(1965)のころ。渥美清が浅草から旅立ち、ビートたけしがフランス座で芸人修行を始めるまでの間だろう。母が江戸千家と古流のお師匠さんで、出稽古中心で浅草の芸者衆にも教えていたらしいが、金曜日が家稽古になった時期がある。邪魔になったあたしは、小遣いをもらって外出と相成り候。で、浅草に通った。三本立て映画を観て、芸人が幕間に寸劇をやるストリップを観終わると帰り時だった。<迷い入る六区ネオンもセピア色>

 大久保台地への最後の坂を登りきると我が家に着く。あたしにも20年余も使い込んだ机が待っていた。


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