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百人町上空ツェッペリン低飛行す [大久保・戸山ヶ原伝説]

kunieda1_1.jpg 岡本綺堂は関東大震災で麹町を焼け出され、1年3ヶ月の大久保暮しだったが、同じく麹町から移って約7年を百人町で過ごしたのが邦枝完ニだった。永井荷風に私淑し、荷風推薦で処女作「廓の子」が「三田文学」に掲載。同誌編集にも携わった。江戸の風情・情緒を主にした娯楽小説で人気作家へ。彼の長女で、俳優・木村功と結婚した木村梢が、少女時代を回想した「東京山の手昔がたり」(世界文化社刊)で「大久保時代」を書いている。

 麹町三宅坂で新婚生活を送った邦枝完二だが、母(姑)と嫁の仲が悪く、嫁と二人で大久保に移転。関東大震災の約半年前のこと。寂しくなった母は、嫁いびりをあやまって大久保に押しかけてきたとか。場所は大久保百人町で岡本綺堂宅の隣と書いてある。邦枝が先だから、後から岡本綺堂が引っ越してきたってことだろう。隣とは東西南北のどっち隣だったのだろう。「すぐ裏は陸軍練兵場の戸山ヶ原が見渡す限り広くあり、江戸の頃より躑躅の名所と言われただけあって、何処の家にも躑躅の花が美しく咲き競う町であったという」。

 大震災は「大揺れに揺れた家は壁に隙間が出来たり、茶棚のもの全てが落ちて割れたりはしたが、誰も怪我もなく無事であった」そうな。梅屋庄吉邸の震災被害も少なく、この辺は地盤が固いのかも。そのうちに襲って来るという大地震に、ちょっと安心なり。さて、著者はそこで大正15年11月に生まれた。産まれたのは市ヶ谷・一口坂の産院。梅屋庄吉といい、なぜか「市ヶ谷・一口坂~大久保」の縁が重なる。

 著者が大久保暮しではっきり思い出せるのは、ツェッペリン(235mの飛行船)だと書いてあった。「近所におせんべ屋があり、そこの娘さんが私を可愛がってくれて、その日も遊びに行っていた。二階から物干台に出ていた時、私たちの真上を大きな灰色のものが空一面を覆うようにゆっくりゆっくりと横切って行った」。余りの驚きでひきつけを起こして、母に抱きかかえられて医者に行ったとか。昭和4年の夏、世界一周の途中で霞ヶ浦飛行場に降りたツェッペリイ伯号だろう。

 なお邦枝家の先祖は、徳川慶喜公と共に駿府に行き、江戸は麹町平河町に戻ってきた旗本らしい。昭和5年に平河町に戻った国枝完二は昭和6年「歌麿をめぐる女達」をはじめで流行作家へ。永井荷風全集には彼の「おせん」の序文や、「偏奇館雑談」(荷風・邦枝)が収録されている。

 次回は邦枝完二が大久保に越してきた数ヶ月前の「東京日日新聞」に載った「戸山アパッチゴルファー」の記事を紹介。


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