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ペダルこぎ品川宿の河岸の花(白蓮2) [新宿発ポタリング]

sinagawajyuku1_1.jpg 過日の品川ポタリング写真を見ていたら、かつて某の撮影に帯同し、そのスタジオ脇の路地に井戸があり、路地を抜けると品川宿だったことを思い出した。妙に懐かしい風景が甦って、また品川を走ってみたくなった。

 新宿から外苑東通りで田町、品川から旧東海道・品川宿に入った。あの井戸は、荏原神社脇の目黒川河口寄りの路地にあった。旧東海道を新馬場駅~青物横町~鮫洲~立会川と辿って鈴ヶ森刑場跡辺りまで走って引き返した。 立会川には若き坂本竜馬が詰めた土佐藩の砲台があった。それは写真の「勝島運河」辺り。埋め立て前は海。この河岸に佇めば、先日読んだ永畑道子著「恋の華 白蓮事件」に、白蓮=柳原燁子(あきこ)が子供時分にこの辺で暮していたとあった。

 燁子の父は華族柳原前光。妹・愛子が明治天皇に見初められ大正天皇の母になった。愛子の従女に美貌の「梅」がい、前光は「梅」を本邸に呼んで妻妾同居。次に前光が伊藤博文と競って得たのが柳橋芸者「おりょう」。この時分に女ったらし・伊藤博文は葭町「濱田屋」の貞奴を水揚げ。4月8日に明治座で石川さゆり「貞奴 世界を翔る」(脚本・なかにし礼)を拝見したが、冒頭舞台が「濱田屋」前で貞奴が伊藤博文に水揚げされる報に歓ぶシーンだった。

 話を戻す。で、「おりょう」さんが燁子の生母。生後七日で引き離されて柳原家の子になった。正妻初子は立会川のほとりの種物屋・増山くにを燁子の乳母として7歳まで預けた。燁子は柳原家に戻ると、今度は9歳で北小路家の養女に。北小路随光が女中に産ませた資武と夫婦にさせられた。資武の好色にさらされ15歳で結婚。男児を産んで二十歳で離婚。26歳で福岡の炭鉱王・伊藤伝右衛門と再婚。気に入った娘がいれば従女にしてから伝右衛門の妾にした。そして自分は36歳で帝大生・宮崎竜介の許に出奔。まぁ、どこもかしこも妾妻同居の乱れよう。晩年の白蓮は、7歳まで過ごした品川での暮らしが最も懐かしいと訪ねている。

 品川への再度ポタリングが、ひょんなことで白蓮の幼児期訪ねにすり替わった。往復40㎞。両脚に乳酸を貯めてやっと新宿に帰還。これで白蓮も終わりと思いきや、今度は白蓮が宮崎竜介と過ごした終焉の地・西池袋の宮崎滔天宅が今もあると知った驚いた。行かねばなるまい。


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