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「美しい町」の幻影(佐藤邸4) [佐藤春夫関連]

taisyo1_1.jpg 川本三郎「大正幻影」に戻ってみよう。同書で川本はこう記している。「佐藤春夫は建築が好きだった。自分で図面を書き、家を建てることを考えるのが好きだった。よく原稿用紙を方眼紙に見立て家のデッサンをした。佐藤春夫はそれを“普請道楽”と呼んだ」。

 彼の“普請道楽”は、洋館風住宅とみていいだろう。彼の小説には、そうした非現実系の家の小説が多いとか。小生は今まで永井荷風がらみ、谷崎潤一郎がらもで佐藤春夫を読んできたので、彼の小説は詳しくないのだが、年代順に洋館登場の小説は「薔薇」「西班牙犬の家」「指紋」「田園の憂鬱」「美しい町」「海邊の望楼にて」「更生記」などらしい。これに庭、植物、調度品などの微細表現が蔦のようにまつわるのだろう。とりわけ27歳の作「美しい町」が秀逸とか。読めば、あの佐藤邸が建ったワケが探れるかも知れぬゆえ再読した。物語を要約してみれば・・・

 画家Eの回想仕立て。なんと、この画家は大久保在住だった。Eは幼少時代の友人で米国で暮していたハーフの川崎君にSホテルに呼び出される。彼はテオドオル・ブレンタノと名乗っている。彼は父の遺産を投じて、百ほどの家を作って「美しい町」を作りたいと言う。Eが設計図から完成画を描く。まずは五千坪ほどの土地探し。二ヶ月を経て、司馬江漢の銅版画「東京中州之景」に出逢う。「Lucky idea!」。「美しい町」は隅田川中州に決定した。そして建築技師募集。20名ほどの応募者のなかで白羽の矢が立ったのは、最後に来た老建築家だった。彼は鹿鳴館時代の建築を学ぶべく巴里に留学し、帰国してみれば欧化時代は去って仕事がない。依頼主のいない夢の家を一軒一軒づつ紙上設計して、気付けば老人になっていた。老技師が設計、Eが完成図、彼が模型を作る。三人はホテルの一室で、夢中になって夢の「美しい町」作りに没頭した。

 この町の住人は商人ではなく、役人でもなく、軍人でもなく、それぞれが最も好きな職業を選んで、それで身を立てていて、犬か猫か小鳥を飼っている人。住人設定もされた。三人それぞれが今まで夢想していた家作りに熱中した。そんな幸せな日々が3年続いて、ついに模型が完成。その夜、テーブルにシャンパンが用意されてEが言った。「実は僕に遺された財産は僅かで、僕にはこの夢の町を現実にするお金がない。もう明日にでも日本を去らねばならない」。しかしEも老技師も、心の中ではどこかに「美しい町」が現実になることを望まなかったような気がする。幸せだった3年の日々を胸にホテルを出て行く。

 以上があたし風の物語要約。佐藤春夫はここで、夢想家は現実のなかに生きるのに憂鬱を抱き、それがまた文学者の道・・・と言っているようである。川本三郎は「美しい町」をこう総括している。・・・彼の「普請道楽」はあくまで家を作る過程を楽しむ。いわば夢の行為。形としてあらわれた建築よりも、その背後にある夢のほうが重要なのだ。佐藤春夫にとって家を作ることは現実的行為というより、あくまでも詩的行為なのだ。だから自分の住む家を南欧風の桃色の家というおよそ浮世離れした、現実と調和しない家を作ってしまうのである。 そして「大正幻影」をこう結ぶ。・・・現実より虚構、内実より見せかけのほうに美しさや意味を見ようとする態度・趣味が私のいう「大正幻影」である。

 これで、なんとなく佐藤邸の謎が少しわかってきた。だが、佐藤春夫は何故に洋風住宅だったのか。日本の洋館風住宅の歴史を探ってみると、なんと、また「西村伊作」が浮上してきたではないか。佐藤春夫が育った明治末から大正初期の和歌山県新宮市に何があったのだろう。(続く)

 写真は川本三郎「大正幻影」表紙。隅田川中州の「美しい町」を彷彿させて、なかなか愉しいイラスト。このカバー装画は森英二郎とあった。


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