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春夫と潤一郎その後(佐藤邸付記) [佐藤春夫関連]

bunkagakuin2_1.jpg 昨日の続き。「関口フランスパン」で買ったサンドイッチとフランスパンを食べながら机に向かえば、今度は佐藤春夫・谷崎潤一郎家その後の「ハッピーとアンハッピー」の重なりに、ちょっと驚いてしまった。まずお目出度は、昭和14年に66歳の泉鏡花夫妻の媒酌で鮎子さん(24歳)と佐藤春夫の甥・竹田龍児さん(姉の子、31歳、東洋史家)が結婚。佐藤、谷崎の両家がめでたく結ばれ、錚々たる文学者が華燭の宴に列席。

 鮎子さんが生まれるまでを簡単に振り返る。谷崎潤一郎は学生時代に伝法肌の芸者・初子と深間になった。しかし初子は自分に旦那がいることから、妹の石川千代さんを彼に勧めた。二人は結婚し、鮎子が産まれた。しかし潤一郎は、千代と鮎子を実家に預けて、自分は千代さんの妹で15歳のせい子と同棲。「痴人の愛」のナオミはせい子がモデル。潤一郎は姉妹や母娘を愛す癖がある。彼の女性関係は頭がクラクラするほどに複雑だ。

 写真は神田駿河台「文化学院」のアーチ校舎一部。佐藤・谷崎家の華燭の宴が行われた頃の佐藤春夫は、文化学院(西村伊作が大正10年に創立)の文学部長(昭和11年~)で、その就任年にこのアーチ校舎が完成。アーチ状が多い佐藤邸と同じだ。

 さて、佐藤・谷崎両家が現代(平成19年~)になって突然に不幸が襲った。潤一郎の次女(松子夫人の連れ子)恵美子さんは能楽師の観世栄夫さんと結婚していたが、平成19年に観世さん(79歳)が中央高速・八王子辺りで交通事故。助手席の女性マネージャー(73歳)が死去。観世さんは逮捕されるも体調不良で釈放されて同年死去。

 一方、佐藤家では平成22年に長男・佐藤方哉さん(慶応義塾大名誉教授、77歳。名付け親は谷崎潤一郎)が京王線新宿駅ホームで酔った男にぶつけられて電車とホームに挟まれて死去。間もなく5月6日「春夫忌」です。★参考:野村尚吾「伝記 谷崎潤一郎」(六興出版)、「鑑賞日本現代文學 谷崎潤一郎」他。


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