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辻原登「許されざる者」の虚構 [佐藤春夫関連]

yurusa2_1.jpg 久々に「小説」を読んだ。辻原登「許されざる者」(毎日新聞社、2009年刊)。数十頁、スカスカで細い線で描かれた少女コミックのよう。こんな調子で、この長編を読むのはイヤだなぁと思ったが、読み進むと物語が動いて一気に読了。読後感はなんだか虚しかった。

 ここに登場するのは「紀州新宮」ではなくて架空の「森宮」で、大石誠之助ではなく虚構の人物「槇隆光」。著者がどこかのマスコミ・インタビューに応えて、こう言っていた。・・・「西村伊作」を「西千春」と「若林勉」の二人に分けて描いたんです」。うひゃ~、小説ってぇのはそういうのがありなんだ。そう思って読めば管野スガも「左巴君江」と「金子スガ」の二人に描き分けられているような気もしないでもない。ゆえに小説家は主人公がアメリカ留学中にジャック・ロンドンと友達になっていて、インドから帰国中の船で中央アジア学術探検隊の大谷光瑞(小説では谷晃之)に逢わせ、淡路島に夢幻の宗教拠点を作ったり・・・。むろん本物の大石誠之助にそんな事実はなく、日露戦争に軍医として戦場にも行ってはいない。大連で森鴎外にも逢っていないし、八甲田山雪中行軍で亡くなった水野忠宣は同家長男で、そのさらに兄が小説で永野忠庸の名で登場したりする。小説ってぇのは、まぁ~「なんでもあり」なんでございますね。読後感の虚しさは、この作り物の虚しさなんだと気が付いた。

 同小説があると知ったのは、先に紹介の熊野新聞社編「大逆事件と大石誠之助~熊野100年の目覚め」で、この小説を機に大石誠之助を新宮市の名誉市民にという運動が動き出したらしい。同書から辻原登の散らばったコメントを強引に一つにまとめてみると、こうなる。

 ・・・僕は、小説家というのは、軽薄でね、何か面白いことがないかといつも探している。最初は西村伊作を書くつもりだった。しかし読めば読むほど伊作は小説の主人公には物足りない。伊作は建築もデザインもできる才人でしたが、本質的に自分が楽しければよいというエピキュリアンだから、叔父さんのほうに鞍替えした。大石誠之助に鞍替えしたが、今度は「大逆事件」が避けられない。「大逆事件」を小説にするのは難しい。加えて大石像は「大逆事件」というフィルターを通した人物像になりがりで、そのフィルターを外して大石誠之助を見ると、大らかで頼まれるとイヤといえない開放的な人物像が出てくる。そこで小説家として、そんな大石を中心に、同時代の人々にはこういう恋もあり、戦争もあり、幸せになる人もあれば・・・と書いた」

 さらにこうまで念をおす。「でも、それはあくまで小説の世界ですよ、という考えです」。芥川賞をはじめ各文学賞受賞の作家らしいが、なんてぇ~か、こういう小説家・小説はあたしにはダメだなぁと思った。


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