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瀬戸内寂聴「諧調は偽りなり」(その4) [読書・言葉備忘録]

ohsugiiji_1.jpg 「甘粕事件」は大杉夫妻が行方不明になった2日後、大正12年9月18日「報知新聞」に「大杉夫妻と長女を麹町分隊に留置」とスクープされた。そして5日後の「朝日新聞」に、大杉外2名の虐殺が伏せられたまま、陸軍当局談で「憲兵司令官懲戒」の見出しで、東京憲兵隊分隊長甘粕正彦が9月16日職務執行の際、違法の行為を敢てしたるに依り(実際に何をしたかは伏せられたまま)、部下監督不行届きの責任上、憲兵司令官陸軍少尉・小泉六一、歩兵第一旅団陸軍少尉・柴山重一、東京憲兵隊憲兵大佐・小山介蔵、憲兵大佐・三宅篤夫などの更迭が発表。

 9月25日になって、昨日ブログアップした「甘粕憲兵大尉 大杉栄氏を殺す その他某々2名も共に」の記事。しかし事件詳細は未発表で、大杉栄と甘粕憲兵少尉、小泉少将のプロフィール紹介のみ。「軍法会議は公開するか否か」とあった。写真は大杉栄がパリから帰国して東京駅に着いた時の親子3人シュット。

amakasikouhan_1.jpg 翌9月26日「朝日新聞」には大杉・野枝の遺された4人の子供らの写真が掲載。瀬戸内寂聴「諧調は偽りなり」には、柏木自宅の遺骨の前で、両親が虐殺されたことが理解出来ずにはしゃぐ子らの姿が哀しく描かれていた。

 10月8日、青山第一師団司令部内軍法会議室で第一回公判。傍聴者の大混雑を見込んで一個中隊で取り締まると発表。9日は「悪びれもせず甘粕大尉出廷」の見出し。予備調書で、夫妻が甥・宗一君を連れて自宅近くに戻ってきた所で彼らを連行。淀橋署から憲兵分隊に運んで、甘粕が一人ずつ柔道の手で首を絞め、死体を菰に包んで古井戸に投げ込んだとの供述が発表。そして塚崎弁護士の「子供を殺すとは帝国軍人の恥である」などの熱烈な説諭で「子供を殺したのは私ではありません」と甘粕。決着かと思われた軍法会議は、予想を覆らせて次回公判に持ち越された。写真は公判中の甘粕憲兵大尉。

 数日後、上部から説得されたかで鴨志田、本多上等兵が「私が橘宗一を殺しました」と自首。いずれにせよこの事件の供述も公判も、瀬戸内寂聴が感じた通り釈然としない内容のまま、甘粕正彦が懲役10年、森曹長3年の判決。上層部の更迭は、単なる人事異動程度で終わった。(続く)


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