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本郷菊富士ホテル跡 [新宿発ポタリング]

kikufuji2_1.jpg 前月、佐藤春夫関連で近藤富枝「本郷菊富士ホテル」を読んだ。同書に辿り着いたのは、佐藤春夫邸設計・大石七分がフランスから帰国後に同ホテルに滞在し、隣の部屋に友人の大杉栄・伊藤野枝を呼んだことから。

 その後、瀬戸内寂聴の同ホテルをテーマの「鬼の栖」を読んだ。こんなことが書かれていた。・・伊藤野枝の取材(「美は乱調にあり」だろう)で、同ホテル経営者の姪で東京女子大同窓の近藤富枝に取材セッティングを頼んだ。彼女は資料集めから取材、小説が完成するまでを垣間見たこと、かつ級友の私が小説家になったことで、自分も文筆に目覚めたのだろう、名著(それほどでもない)「本郷菊富士ホテル」を上梓した・・・と。

 同ホテルは大正3年に帝国ホテル、日比谷ホテルに次ぐ3番目のホテル(高級下宿屋)として建って、多くの文人が止宿。石川淳、宇野浩二、宇野千代、尾崎士朗、坂口安吾、谷崎潤一郎、直木三十五、広津和郎、正宗白鳥、竹久夢二、中條百合子、湯浅芳子、大杉栄、伊藤野枝・・・などなど。

 瀬戸内寂聴「鬼の栖」は、同ホテル止宿の文人模様を描いているが、途中から「塔の部屋」で繰り広げられる安っぽい情痴フィクションが加わって、あたしは興醒めして読むのを止めた。彼女の全集解説では「伝記的世界に虚構小説をミックスさせて新たな小説世界を構築云々~」とあったが、あたしには読むに堪えなかった。

kikufuji_1.jpg 同じく瀬戸内寂聴「孤高の人」は、日本のレスビアンの祖みたいな湯浅芳子と宮本百合子がソビエトから帰国した昭和5年に同ホテルに止宿の経緯が描かれていた。読書三度で「本郷菊富士ホテル」が登場ゆえ、一度は同ホテル跡地を見ておかねばと、夕食前の涼しいひと時に同界隈をポタリング。

 この界隈は樋口一葉がらみ(例の井戸、終焉の丸山町、桜木の宿の法真寺、さらには石川さゆり『一葉恋歌』キャンペーンイベントなど)で何度も訪ねているも、同ホテルのことは知らなかったんです。写真上は同ホテル跡の記念碑。写真下は菊坂から見上げた跡地。現在は「KIKUFUJI」なるマンションが建っているが、同ホテルは「塔の部屋」を有して地下1階、地上3階の30室。きっとこの写真よりさらに立派に聳えていただろうが、位置的にはこんな感じだったと思われる。


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