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甘粕正彦(3)横顔その1 [読書・言葉備忘録]

 甘粕は名古屋・陸軍士官学校卒業後の明治43年、19歳で陸軍士官学校に入学。教練班長は東条英機。同校歩兵科505人中34番の優等生。見習い士官から少尉任官。陸軍戸山学校の訓練中(乗馬が苦手?)に足負傷で歩兵を断念、憲兵になった。

 佐野眞一は平成2年に解体業者を経て国立図書館・憲政資料室所蔵になった「茶箱一杯分」の甘粕資料より、大正元年末に憲兵少尉に任命された翌年の「考課評価」を探り出す。「温良篤実ニシテ機敏着眼頗ル良好ナルモ、青年ナルカ故ニ時々或ル抑戻ナルノ風アリ、未ダ稚気ヲ脱セナルヲ遺憾トス」

 佐野は「抑戻」なる言葉は辞書になく、「過剰なるまでの正義感」と解釈して、そこを軍の上層部に巧みに利用されたとみることもできると記している。小生は、ここに正義感なる言葉はないから、文字通り「稚気に戻る」の意だろうと解釈する。「温良篤実」にして「稚気に戻る」とはどんな人物や。同期生らは口を揃え「甘粕は奇行と篤行の人」と回想しているとか。ウ~ン、どこか「変な奴」はわかるが、その姿がなかなか浮かんでこない。

 大正7年、甘粕は朝鮮京畿道揚州憲兵分隊長になった。この頃の甘粕逸話(1):角田は甘粕の同期の弟の弁で「彼が兄の許へ遊びにくると、烈しい口調で軍を批判していたから、大杉事件が発覚した時に、彼が大杉に同調して事を起こしたかと思った」を紹介。根っからの皇国軍人として成長した彼に、軍の実情を嘆く批判眼が芽生えていたか・・・。逸話(2):甘粕の道揚州憲兵分隊長時代は朝鮮の「独立運動」盛り上がりに日本官憲が銃火鎮圧の血なまぐさい風が吹き荒れるも、甘粕は着任早々に地元民とのコミュニケーションを密にしていて同地を平穏に収めたとか。角田・佐野両著ともそれは記すも、甘粕が地元民に「なんと言って」平穏に収めたかに言及していない。

kankoku2_1.jpg しょうがないから勝手に想像してみた。「朝鮮独立の気持ちはよくわかる。しかしいま日本帝国が手を引けば、また清(中国)やロシアやイギリスが入って来よう。今は朝鮮の体制を盤石に、国力がつくまで待とうじゃないか」・・・と言ったかどうか。(日本帝国敗戦後は南北分断から北朝鮮(中国・ソ連)と韓国(米国・国連軍)の戦場になった)。

 甘粕はこの功績によって朝鮮憲兵司令官の副官に抜擢。彼はいつの間にか単なる「皇国憲兵」からクールな分析・批評眼を有した男に成長していたか。しかし佐野眞一は「この時に甘粕は朝鮮に於ける憲兵警察撤廃案を提言して、時の警務局長・赤池濃(あつし)の逆鱗に触れた」と記す。

 呉善花「韓国併合への道 完全版」(文春新書)を読むと「日本は三・一独立運動を招いたことを反省して、それまでの武断的な統治を大きく改め、文化統治へと重点を移していった」とあり、その改革のひとつに「憲兵警察の廃止」を挙げていた。甘粕の建言が実現されている。甘粕は変に目立っちゃったようだな。


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