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加藤郁乎「俳人荷風」(7)枯葉、虫、雪 [永井荷風関連]

 加藤翁は「枯葉の記」「雪の日」に飛ぶが、こちらは各章を愉しむ。「浅草公園の興行物を見て」。昭和12年頃の浅草興行評。まず新舞踊の普及に驚いて浅草通いを始めたと記し、オペラ館の芝居は京伝黄表紙、南畝洒落本を読む興味に似て、花柳小説とも言ってよいだろう。しかし他座の芝居は大阪風のあくどい臭みがある。あたしも二十歳の頃に浅草通いをした。ビートたけしがフランス座に出る6、7年前のことだ。芝居がらみの句・・・「お花見は舞臺ですます役者哉」(昭和12年)、「夏芝居役者にまけぬ浴衣かな」(大正7年)。

m_kafuseika1_1[1].jpg 「冬の夜がたり」は7、8歳(明治19、20年)に、鹿鳴館衣装の西洋婦人が箱馬車で小石川金剛坂に母を訪ねて来た思い出。初めて見た外人。「門前の道路は箱馬車一台でも、その向きをかへるには容易ではない狭さで・・・」。ほんと、大変だったろうにと頷いた。写真は「荷風旧居跡」の金剛坂。

 次は「蟲の聲」。夏から秋への蟋蟀の鳴き声について。荷風句に「蟲の聲」が多い。「わが庵は古本紙屑蟲の聲」 「こほろぎや古本つみしまくらもと」 「蟲の音も今日が名残か後の月」(後の月:十三夜=新暦で10月中・下旬)。昭和24年になると「停電の夜はふけ易し虫の聲」。あたしも停電が多かった時分を覚えている。いつもは聴こえぬ電車の音、鐘の音、虫の音がふと聴こえたりして・・・。

 「雪の日」は、竹馬の友・井上唖々と向島・百花園から言問辺りまで戻ってきたところで雪になり、掛茶屋で一杯の思い出。唖々が「雪の日や飲まぬお方のふところ手」に、「酒飲まぬ人は案山子の雪見哉」。渡し舟が終わるも、蒸気船が七時まであると知って「舟なくば雪見がへりのころぶまで」 「舟足を借りておちつく雪見かな」。

 45歳で亡くなった唖々さんを偲んだ後は、冬になると余丁町の家に飛んで来る山鳩を見て「雪が降る」と言った母の思い出。江藤淳は「荷風散策」で、私の育った大久保百人町では山鳩を見たことがない。昭和10年代後半には、山鳩はもうこの辺りには来なくなっていたと書いた。そんなこたぁない。今でも新宿御苑に行けば眼にする。

 そして朝寐坊むらくの弟子時代。深川・常磐亭で大雪になり、下座の三味線の娘と支え合って歩き帰るも幾度も転び、蕎麦屋で大人ぶって燗酒を飲めば酔いが加わって娘の肩が頼り。二十歳の甘酸っぱい思い出に、当時はヴェルレーヌもじりの詩を詠んだとか。だが昭和19年・65歳になると「ふり足らぬ雪をかなしむ隠居かな」。

 『冬の蠅』の最後は「枯葉の記」。冒頭に江戸の富豪・細木香以が老いて木更津にかくれ住んだ時の句「おのれにも飽きた姿や破(やれ)芭蕉」。荷風さん、自宅流しから外の無花果の枯葉をみて「なんときたないのだろう」。芭蕉の葉がずたずたに裂かれた姿は泰然自若だが、自分は無花果の枯葉がお似合いと記す。 加藤翁はこの句から後に「長らへてわれもこの世を冬の蠅」が生まれた、で『冬の蠅』の章を終えた。


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