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荷風の越前堀(1) [永井荷風関連]

reiganjima1_1.jpg 昭和10年前後の永井荷風の霊岸島(越前堀)散策を読めば、やはり行ってみたくなる。荷風さんが越前堀を歩くには2コースあり。毎週のように通う中洲病院の帰りに「豊海橋」から入る場合と、銀座から出発して「南高橋」から入るコース。

 9月半ば。未だ真夏日ゆえ早朝6時に自転車を駆った。まずは銀座から歌舞伎座。建て替え急ピッチなり。そういえば荷風さん、二十歳の頃に歌舞伎座の立作者・櫻痴居士門弟として見習い約1年間。歌舞伎座に通っていた。その後も大正4年に築地に、大正6年に木挽町(銀座八丁目辺り)に借り住まい。銀座っ子だな。

 築地本願寺を左に、右に築地魚河岸を見れば勝鬨橋へ。荷風さんが歩いた頃に橋はなく(昭和15年完成)、その上流の佃大橋(昭和39年完成)もない。「わたし」があるのみ。

minamitakahasi_1.jpg 隅田川沿いに遡行すると湊町の「鉄砲洲稲荷神社」。その向かい辺りに鬼平こと長谷川平蔵が5~19歳頃に住んでいたとか。すでに埋立られて橋名標だけの「稲荷橋」があり、そこを右折で「南高橋」に至る。

 「断腸亭日乗」昭和9年6月26日。晴れてむしあつし。午後執筆。黄昏銀座に行き銀座食堂に夕食を食す。七時過満月、松坂屋の高き建物の横手に現はる。舊暦五月の望なるべし。歌舞伎座前より乗合自動車に乗り鉄砲洲稲荷の前にて車を降り、南高橋をわたり越前堀倉庫の前なる物揚場に至り石に腰かけて名月を観る。石川嶋の工場には燈火煌々と輝き業務繁栄の様子なり。水上に豆州大島行の汽船ニ三艘泛びたり。波止場の上には月を見て打語らふ男女二三人あり。岸につなぎたる荷船には頻に浪花節をかたる船頭の聲す。 ・・・面白いことに「南高橋」脇の史跡案内板に、この文が引かれていて「断腸亭日乗」昭和9年7月とあり。正しくは6月26日。どうしてこんなことを間違えるのだろう。

toyomihasi1_1.jpg ついでに中洲から入る「豊海橋」へ。案内板にまたも荷風「断腸亭日乗」より 「豊海橋鉄橋の間より斜に永代橋と佐賀町辺の燈火を見渡す景色、今宵は名月の光を得て白昼に見るよりも稍画趣あり、清々たる暮潮は月光をあびてきらきら輝き、橋下の石垣または繋がれたる運送船の舷を打つ水の音亦趣あり」。 こちらは年月の記なし。

 しゃれた散策用「隅田川テラス」を歩けば佃島の高層マンション群、そこへ伸びる中央大橋(平成5年完成)。もう荷風さんが歩いた越前堀の面影はすっかり失われていたが、この「南高橋」と「豊海橋」だけは荷風さんをしっかり記憶していた。(写真上は中央大橋から望む東京湾汽船の霊岸島発着場があった辺り。写真中は「南高橋」、写真下は「豊海橋」)


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