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夢枕獏「大江戸釣客伝」(4) [読書・言葉備忘録]

turikyaku2_1.jpg 前回の続き。・・・紀伊国屋文左衛門の呼びかけで「投竿翁」の生前を知るべく捜索開始。浅草の呉服問屋・岡田屋が名乗り出た。「それは私の店に一時勤めていた“なまこの新造”です」。夢枕獏の嘘(フィクション)の腕のみせどころ。

 ・・・15年前に店先で倒れていた。介抱すると、お礼に大工仕事。腕がいい。雇い入れようと身元を訊いた。子供や嚊ァが病気でも、仕事があっても釣りに行く。“狂”の付く釣り好きで身を崩したとか。雇うと当初はよく働いたが、裏に小屋を作ると籠ってしまった。釣りの研究・実験・執筆。そして『釣秘伝百箇條』を書きあげると腑抜けになった。10年ほど前に釣りに出かけたまま帰ってこなかった男です。 その翁が、死してなおキスを釣った竿を握りつつ笑みをうかべたまま死んだ。

 元禄6年(1693)、今度は朝湖が捕まった。ここからは嵐山光三郎『悪党芭蕉』を併せひく。・・・其角と親しかった画家の英一蝶(朝湖)は、元禄6年に入牢して二ヶ月で釈放されて謹慎の身だった(嵐山)。どういうことだろう。(夢枕に)読み替える。

 ・・・朝湖は御城坊主になった。大名らが一番喜ぶのが中(吉原)の話。朝湖は放蕩仲間の医師・村田半兵衛、仏師・宮部と共に大名をお忍びで吉原で派手に遊ばせた。しまいに綱吉の生母・桂昌院の甥に千両の大金を使わせて遊女を身請けさせた。幕府は彼らを「本朝牛馬合戦記」の作者じゃないかと別件逮捕。牛馬になにを語らせた戦記か書かれていないが、後に真犯人(作者)が捕まって元禄7年に斬首。朝湖らは釈放されて命拾い。

 一方、其角は元禄7年(1694)10月、大阪で師・芭蕉の死に立ち会っていた。死を前にした芭蕉句<この道や行く人なしに秋のくれ>。芭蕉が作った俳諧の道を何人が歩い行くかの意。最後の句は<旅病んで夢は枯野をかけ廻る>。「病んで」は「yan」で一音一拍。妄執句。「枯野」は幽界か。そして其角の追悼句<なきがらを笠で隠すや枯尾花>。

 江戸に戻った其角は朝湖に、芭蕉が死の床にあってもなお自分の句を改稿していたと報告。朝湖は「死してなお竿を握っていた投竿翁と同じだな。悪い死に様じゃねぇ」。芭蕉最期と其角については嵐山『悪党芭蕉』が力を込めて描いている。テーマ違いだが併せ読むと愉しさが立体的になる。(続く)


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