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猪瀬直樹『ミカドの肖像』(24)総括 [『ミカドの肖像』]

kensuimejiro1_1.jpg このシリーズを終える。文庫本約800頁を要した「ミカド巡り」から最後の約50頁が結論らしい。著者は「伊藤博文ら明治国家の創設者たちが創ったのは天皇機関説で、明治天皇は機関説の支持者だったが、そのシステムを壊したのは陸軍だった」。 これは周知のこと。それだけ?

 著者唯一の意見は「僕は、この一世一元の制が、欧米の近代国家観をとりいれた天皇機関説と相容れなかったとみている」 「天皇崩御は不意に訪れ、その儀式は一大浄化作用の場となり、あたかも国家が生き物のように消滅し再生したかのようである」 さらに<天皇も複製技術革命の洗礼を受け、さらに「空虚な中心」になる> これで終わり。

 「なんじゃこれ!」。著者もこれで終われぬと思ったか、内容的にはタブーでもなんでもないのに、仰々しく重大なことを記すかの<禁忌[タブー)X(n)「天皇安保体制」幻想>と、「哲学者Nとの対話」からなる「エピローグ」を設ける。

 いかなるタブーに言及か。<僕は「天皇制安保体制」という明文化されざる構想としての天皇を利用しようとする発想を「天皇安保」と名づけてみることにした。「空虚な中心」の位置が視えてくるからである」 何が言いたい? 再び天皇機関説が出てくる。

 「昭和天皇自身も“天皇機関説の信奉者”で、万世一系を保持するためにも、時の政権から距離を置きながら政治的責任を被らないとする生存戦略。それが「視えない制度」=「空虚な中心」=「秩序の安全装置」=「天皇安保」になっていると繰り返す。タブーでもなんでもない。周知の認識だろう。

 次章「哲学者Nとの対話」は、自分でまとめられぬ頭を他者の力に頼る禁じ手なり。あたしも時に、架空の「かかぁ」をここに登場させる。それでやってみよう。

 ・・・僕は日本の天皇制を語るに“視えない制度”って言葉がふさわしいと思う。中心に権力がない、中心が虚だから、周縁が次々に吸い込まれるブラックホール。それが天皇安保。ゆえに日本に権力闘争も革命も起こらず、ブラックホールのみが新鮮さを保ち続ける。・・・と同章の記述をかかぁに説明すると、こう言った。

 「それだけなら小冊子でよかったのに。そんなのにあんたは真面目に付き合って全部読んだぁ」 「うん、著者は新知事就任の記者会見で<『ミカドの肖像』を読んだかぁ>」と言っていたし・・・」 「で、読んで虚しくなった。きっと書いている本人も自己中心が空虚。ゆえに絶えず虚勢を張っている、カラ威張りしている、自慢する、無理をする、他者を貶める。権力も名誉も金銭の欲も欲しくなる。そうやって生きていなきゃ自分がなくなっちゃうの。それが彼でもあるわけよ」 

 「う・うまいことを言うなぁ。でも空虚ゆえ新ビジョンで東京を世界一の都市にしてくれるかも」 「ばっかねぇ、あんたはミカドを意識して生きてきたことが一度でもあって。それに今の日本はオリンピックやっている場合じゃないの。もし決まれば、それこそ<ブラックホール>で、いま日本が抱えている諸問題が吸い込まれ風化されちゃう」 「あぁ、いまの日本は地道に生きる道を探る大事な時だが、都政も国政もまた高度成長を夢見て、さぁ走り出せって感じになってきた」「そうやって生きる虚しさについて、あの人は何も書いていないの。それよりもあんた、もう寒桜にメジロが群れているよぅ。さぁ、お弁当持って公園に行きましょ」 「かかぁ、おめぇの正体はひょっとして佐高信か、はたまた本田靖春か!」。 (END)

 写真はまだ六分咲きの寒桜に群れる「懸垂メジロ」、可愛いでしょ。


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