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猪瀬直樹『ミカドの肖像』(23)天皇機関説 [『ミカドの肖像』]

syouwatenno_1_1.jpgmeijitennosinsyo_1.jpg 以下、井上ひさし『二つの憲法』よりひく。伊藤博文は「大日本帝国憲法」発布半年前の明治天皇臨席「帝国憲法草案審議」にあたり「枢密院における憲法制定の根本精神についての所信」でこう演説したと記す。

 「我国ノ基軸ハ何ナリヤ」。欧州は宗教が基軸も、日本の仏教は「衰替(すいたい)ニ傾キタリ」で、神道も「宗教トシテ人心ヲ帰向セシムル力ニ乏シ」。それで「我国ニ在テ基軸トスヘキハ、独リ皇室アルノミ」。・・・お・おい、そりゃ違うだろう、と叫んでみたが、かくして皇室を基軸に「大日本憲法」が作られたと説明。井上ひさしは「神道と皇室が別と考えられていることに驚いた」と記していた。

 まっ、「ウソも方便」だな。あたしも、これは伊藤博文らが学んだ吉田松陰「松下村塾」の「一君万民論」、はたまた「尊王」思想の延長で、国の基軸を「皇室」にしたんじゃないかなと思った。

 松本健一著『明治天皇という人』では、北一輝は「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」をこう批判したと記す。・・・「五箇條の御誓文」には「万機公論ニ決スヘシ」とあるように、維新革命は民主主義革命じゃなかったか。「国民の国家」であるべきだろう。しかも「萬世一系」とはなんぞや。鎌倉幕府から徳川幕府末期までの武家政権によって、天皇は主権を奪われていたではないかと。

 なお、昭和天皇は青年期の御学問所で白鳥庫吉(学習院教授)の授業を受けていて、その残された教科書には「我が国には上代よりいひ伝へ来りし神代の物語あり、建国の由来、皇室の本源、及び国民精神の神髄みな之に具(そな)はれり」で、これらは神話。天皇は現人神(あらひとがみ)ではないと、しっかり教えられているとか。(古川隆久著『昭和天皇』)

 またプロシャ風憲法導入派の井上毅が、「議員内閣制」のイギリス型憲法を勧める大隈重信らを追放したのはなぜか。松本健の同著「福沢諭吉と井上毅」の章をひく。・・・福沢諭吉はすでに明治8年刊の『文明論の概略』で、国体を「皇統」という血統に求めるべきではないと記していた。国体(ナショナル・アイディンティティ)は人種、宗教、言語、地理それぞれの国によって異なる。ゆえに「国体」と「正統(政権)」と「血統」は別。

 日本は血統が続くも、政権は何度も変わり、外国に侵略されずに同じ言語風俗変わらずで「国体」は失われなかった。大事なのは皇室「血統」ではなく、「国体」が失われなかったこと。ゆえに「自国の政権を外国によって失われぬよう、人民の智力を進めて文明開化が必要」と説いていた。さらに明治14年の『帝室論』では、皇室は政治という権力闘争の埒外のシステムで、皇室の尊厳と神聖とを、政治が濫用してはいけない、と記していたとも指摘。これは後に美濃部達吉らが主張の「天皇機関説」につながる。

 その福沢諭吉、大隈重信らは井上毅の巧みな裏工作で追われるが、井上は福沢諭吉の著作(『学問のすゝめ』など)に若者たちがなびき、これでは父親や兄の抑えがきかなくなる。危険思想だとの判断で、彼らを排斥したと説明されていた。かくして日本は「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之(これ)ヲ統治ス」で天皇主権国家となる。

 各著、各長文より、あたしなりにこうまとめ理解したが間違いなかろうや。はい、ボケ防止の隠居勉強です。(★写真は古川隆久著『昭和天皇』(中公新書)、笠原英彦著『明治天皇』(中公新書) ともにわかり易い書です。)


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