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日本橋川(13)「外濠橋」「龍閑川」の謎 [日本橋川]

ohboribasi1_1.jpg 「鎌倉橋」を下ると左岸に「龍閑川」跡あり(左写真の駐車場下)。正面にはJRの煉瓦アーチ高架橋が連なり、日本橋川に石組アーチ橋「外濠橋」が架かっている。日本橋川の関係書やサイトは、なぜか「外濠橋」に言及せぬ。鉄道架橋ゆえのスルーだろうが、日本橋川に架かる橋には違いなく、ここでは「外濠橋」と「龍閑川」そして「新常盤橋」について記す。

 「外濠橋」は、神田駅開業(中央線開通)の大正8年(1919)の架設だろう。鉄道サイトを拝見すると橋の図面、石積みアーチ橋の工事中写真、竣工時の写真など掲載で興味深い。高さ10メートルの親柱が四隅に建つ立派な姿だった。アーチ中央には誇らしげな鉄道エムブレム。気付かず撮った写真を改め見れば、今も鉄道マークあり。

sintokiwabasi1_1.jpg 大正14年には山の手線、京浜東北線も開通。電車がひっきりなしに走っているが、90年余も経て崩壊の危険なしや。さらに東北・上越新幹線も加わって補強拡張。目下は東北縦貫線の高架工事中。

 「外濠橋」で日本橋川を越えた神田寄りの煉瓦アーチ架橋下は駐車場。続いて外堀通りを跨ぐ鉄筋「龍閑橋架道橋」。再び煉瓦アーチへと続く。その煉瓦壁に昭和7年に消えた町名入り「第一(本銀町)高架橋」のプレートがあった。この辺りには、大正時代が息づいている。

 高架橋下を抜けると「江戸通り」と交差し、「外濠橋」並列で「新常盤橋」(写真上)が架かっている。大正9年(1920)架設で、当初は路面電車が走っていた。現在の橋は昭和63年(1988)竣工。橋右側歩道下から川面を覗けば「東北・上越新幹線」を支えているのか鉄柱基礎が建って、その奥に「外濠橋」のアーチが見える。河岸を渡れば目前に東京駅。振り帰れば神田駅。

meijiryuukanhasi_1.jpg 次は「龍閑川」。菅原健一著『川跡からたどる江戸・東京案内』(洋泉社)によると、「龍閑川」は神田と日本橋の境界線。明暦3年(1657)の大火後に火除土手が作られ、天和3年(1683)に土手沿い北側に広い道ができ、元禄4年(1691)頃に沿って「龍閑川」が開削された。川は「龍閑橋」から小伝馬町牢屋敷を経て「浜町川」(明治座近く)に合流し、「神田川」経由で「隅田川」に流れていた。

 「龍閑川」堤は松並木。北側は神田の職人町。江戸湊から龍閑川で運ばれた資材が荷揚げされ、加工・製品化されて日本橋商人が売った。この水路は安政4年(1857)に埋め立てられ、明治16年(1883)に浜町川が神田川まで延長された時に再び防火・排水用に開削。戦後になって「龍閑川」は不用河川として戦災残土の処分場所に。下水道使節が埋設されて昭和25に埋め立て完了。

ryuukannhasiato_1.jpg 「龍閑川」の変遷は、江戸から現在までの歴史になる。最後の「龍閑橋」は、外堀通り脇の小緑地に記念保存され、明治時代の写真も添えられていた。


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