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日本橋川(19)花柳章太郎・玉三郎の「西河岸橋」 [日本橋川]

 nisikasibasi1_1.jpg「一石橋」下流、三越裏から八重洲方面に通じる「日銀通り」に架かるのが「西河岸橋」。その橋詰に史跡案内あり。

 ・・・このあたりは、江戸時代より我が国の商業・経済の中心地として栄えてきた。この橋は、日本橋から一石橋までの右岸地域が「西河岸」という地名で「西河岸橋」と命名。初代(明治24年架設)の橋は、弓弦形ボウストリングトラスという当時最新式の鉄橋でした。関東大震災の被害で、大正14年に現在の橋になった。架設後65年を経たので平成2年に痛んだ部分を修復した。

 「西河岸橋」といえば、泉鏡花『日本橋』になる。「西河岸橋」から南、呉服橋と鍛冶橋の中間辺りが「檜物町」(現・八重洲一丁目)で花柳界だった。泉鏡花が檜物町の芸者物語を書いたのは大正3年、41歳で、その後に自ら脚曲化もした。

nisigasijizou2_1.jpgnisikasijizou5_1.jpg 「清葉」姐さんに姉の面影を見た医学士・葛木が「一石橋」で栄螺と蛤を投げ(放生)て、巡査に咎められて困っているところを、奔放な「お孝」姐さんが助け舟。そこに抱えの若い「お千世」が合流して西河岸のお地蔵様へ。その帰りに「青葉」姐さんと鉢合わせ。事件はそこから始まる。その謡うような美文一節を紹介しよう。

 ・・・雛の節句のあくる晩、春で、朧で、御縁日、同じ栄螺と蛤を放して、巡査の帳面に、名を並べて、女房と名知つて、一所に詣でる西河岸の、お地蔵様が縁結び。・・・これで出来なきや、日本は暗闇だわ~。 もう一節をひこう。

 ・・・あゝ、七年の昔を今に、君の口紅荒れしあたり。風も、貝寄せ(春の西風の意)に、おくれ毛をはらはらと水が戦(そよ)ぐと、沈んだ栄螺の影も浮いて、青く澄むまで月が晴れた。と、西河岸橋、日本橋、呉服橋、鍛冶橋、数寄屋橋、松の姿の常盤橋、雲の上なる一つ橋、二十の橋は一斉に面影を霞に映す~。

 21歳で無名だった新派・大部屋俳優の花柳章太郎が、『日本橋』の「お千世」役を切望して西河岸地蔵尊に祈願。この「日限(ひぎり)地蔵尊」は、心から祈念すれば日ならずして御利益に授かるとかで、花柳章太郎は「お千世」役を得て一気に人気女形になった。章太郎は昭和40年に70歳没だが、昨年末(平成24年)、日生劇場で坂東玉三郎が25年ぶりに『日本橋』の「お孝」役を演じた。

 その地蔵尊は、今も西河岸のビルの狭間にひっそり建っている。縁結びの絵馬がやけに艶っぽい。玉三郎も公演前にお参りしたのかしらと「西河岸地蔵」を見ていたら、証券会社勤めらしきオジさんや青年が一目憚るように熱心に何やら祈念していた。そこぞに好きな女がいるや、いや、上昇株との出会いを求めてか。

 「西河岸橋」は古色蒼然風だが、かつての花街の妖艶・情念ドラマがここで展開されたと思えば、妙に艶かしい。


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