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日本橋川(20)「日本橋」のお勉強 [日本橋川]

nipponnbasi5_1.jpg 日本橋川シリーズ、やっと「日本橋」に辿り着いた。日本橋の歴史書、資料は多いが、まずは橋の碑文集から。最初は「日本橋重要文化財 ・日本橋・指定の意義」なる碑文要約・・・

 「明治時代を代表する石造アーチ道路橋。ルネサンス式の橋梁本体と和漢洋折衷の装飾の調和も良く意匠的完成度も高い。建設省国道に係る物件の初重要文化財指定」


 かくも重要な文化財を、なぜに高速道路で被ったか。次は歴史案内板の文を要約。・・・架けられたのは徳川家康が幕府を開いた慶長八年(1603)頃。幕府は五街道の起点を日本橋とし、江戸経済の中心となる重要な水路にもなった。橋詰に高札場あり、魚河岸があった。幕末の繁栄の様子は、安藤広重の錦絵でも知られている。

★追記:平成29年(2017)7月21日の新聞一面トップに「日本橋景観改善へ 首都高地下化 国・都が検討 着手は早くても五輪後」の記事が踊っていた。十年、二十年の大プロジェクトらしいから、あたしは日本橋の上の青空を見ることができないかもしれないが「あぁ、良かった・良かった」と思った。

nipponnbairyu_1.jpgdourokiten2_1.jpg さすが日本橋。説明文は長い。・・・現在の日本橋は明治四十四年に石造二蓮アーチの道路橋として完成。橋銘は第十五代将軍徳川慶喜の筆。青銅の照明灯装飾品の麒麟は東京市の繁栄を、獅子は守護を表す。橋中央にある日本国道路元標は、昭和四十二年に都電の廃止に伴った道路整備を契機に、同四十七年に柱からプレートに変更。プレート文字は当時の総理大臣佐藤栄作の筆。平成十年に照明灯装飾品を修復。同十一年五月に国の重要文化財指定。

 史跡案内板は橋の彼方此方にある。・・・慶長8年に日本橋が架設されて以来、火災などによって改築すること19回を経て、明治44年3月に現在の橋に生れ変わった、のプレートもあり。次は「日本橋由来の記」なる碑板。旧漢字やカタカナを今風に、句読点も入れて読み易くして全文を紹介。

 ・・・日本橋は江戸名所の随一にして、其名四方に高し。慶長八年、幕府諸大名に課して城東の海浜を埋め市街を営み、海道を通し始て本橋を架す。人呼んで日本橋と称し、遂に橋名と為る。翌年、諸街道に一里塚を築くや、実に本橋を以て起点と為す。当時既に江戸繁栄の中心たりしこと推知す可く。橋畔に高札場を置く、亦所以なきにあらす旧記を按するに、元和四年改架の本橋は長三十七間余幅四間余にして、其後改架凡そ十九回に及へりと云ふ。徳川盛時に於ける本橋付近は、富賈豪商甍を連ね、魚市あり酒庫あり、雑闇沸くか如く。橋上貴賤の往来昼夜絶えず、富獄遥に秀麗を天際に誇り、白帆近く碧波と映帯す。真に上図の如し。明治聖代に至り、百般の文物日々新なるに伴ひ、本橋亦四十四年三月新装成り今日に至る。茲に橋畔に碑を建て由来を刻し以て後世に伝ふ 昭和十一年四月 日本橋区

 橋に立ち止まってじっくり碑文を読む人も少なかろうゆえ、以上は橋の碑文集。次回は資料を多少読んでみる。


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