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聳えるフジ、そぐわぬフジ [江戸名所図会]

nisimukie_1.jpg  『江戸名所図会』に「大窪天満宮」あり。別当は大聖院。本文は略。絵の文は・・・社壇西に向ふ、故に西向といひ、又は棗(なつめ)の天神と称すれとも、棗の来由志るへからつ、境内すこぶる幽邃(いうすゐ)あり

 「幽邃」は静かで奥深い、学問や道理が深い。ここで面白いのは、また広重の絵。長谷川雪旦の精緻な絵を見た後で、『絵本江戸土産』の広重絵を見て、思わず「ウッソ~」と腰を抜かした。まぁ、本物の富士山をここに移したかのよう。こうなったら行かずばなるまい。

 幸い徒歩圏内。むろん絵のような富士山は聳えていない。が、同行のかかぁが最初に気付いた。「おまいさん、浅間神社があるようぅ」。おぉ、胎内窟もある。一合目、二合目、三合目と石板を辿って行けば頂上へ。弘化三年(幕末ちょっと前)と、再築の大正十四年の石碑が多い。

nisimukiedo_1.jpg それにしても広重絵の富士山の大きさよ。『富士三十六景』が嘉永五年刊とか。『絵本江戸土産』もほぼ同時期で、彼の頭ん中は富士山がいっぱい、はたまた最晩年に30年前の葛飾北斎の大傑作『富嶽三十六景』への対抗意識が燃えたか・・・。

 一方、地誌『江戸名所図会』の絵は在るがままクールな描写。文また真面目に由緒を探る。安貞年間(鎌倉時代の前期)に勧請され、太田道灌の絡みもあるとか。

 しかし別当・大聖院脇に立派な石坂まさを作詞・作曲、藤圭子・歌『新宿の女』歌碑あり。ヒット歌謡曲は時代の徒花要素大、かつ歌手またスキャンダルにまみれようぞ。あたしはその業界片隅で飯を食ってきて、当時は新宿二丁目の「棗(なつめ)」というバーにも入り浸っていた(関係ない)が・・・。由緒ある寺院に、歌謡曲歌碑は何ともそぐわぬ。ヒット有頂天で歌碑を建てたのだろうが、芸が「謙虚」を忘れたら無粋になる。

 そうだ。荷風さんが『日和下駄』の「夕陽」の項を・・・ 東都の西郊目黒に夕日ケ岡というがあり、大久保に西向き天神というがある。ともに夕日の美しきを見るがために人の知るところとなった、と書き出していた。今は残念ながら「日テレ」ゴルフ練習場&住宅展示場跡地に建った巨大ビルに遮られて西の空は見えぬ。佐野眞一『巨怪伝』によると、正力松太郎はそこにドーム型野球場を造ろうしていたらしい。

 えっ、広重の絵? 芸でも記録でもなく「アート」領域に踏み込もうとしている。広重と北斎の富士、富士塚と藤の歌碑、棗(なつめ)神社と二丁目のバー「棗」。今回は重ね過ぎたか。(写真下は聳える富士の塚、そぐわぬ藤の歌碑)

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