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岩倉具視と猪瀬知事と玄国寺(イ) [幕末維新・三舟他]

suwajinnjyae_1.jpg あの猪瀬知事は就任記者会見で、記者らに<『ミカドの肖像』を読んだか>と偉そうに言った。ならばと今春、同書の検証読書(25日に亘って)をさせてもらった。佐野眞一の取材力・筆力には圧倒されるも、『ミカドの肖像』は隠居爺でも書けるかなって感じで、威張るほどの書ではないと判断した。

 彼は最終章も終わり(文庫本827~829頁)で、孝明天皇の崩御について、こんな事を書いていた。・・・死因は天然痘と発表されたが、岩倉具視ら討幕派により毒殺されたという噂がひそかに流布された。日本に駐在し政争の真只中にいた英国外交官アーネスト・サトウも、ディープスロートの証言から毒殺説を確信していた(筆者<猪瀬>注:明治政府が刊行した公式記録に毒殺説は見られない。そのことをもって毒殺説を否定する向きもあるが、それよりナマの証言のほうを採るべきだ)。

 そして、こんな文章に続く。「明治天皇は、父親の死因に不審感を抱いていたと思う」(中略)「開国に反対した孝明天皇が毒殺されて年少の明治天皇が担ぎ出されたとき、近代天皇制の行く末は地球儀とともにグロテスクに暗示されていたのである」

 ここから天皇機関説、“象徴天皇”を説明し、日本は東京の真ん中に実態のない空虚=ブラックホールができて、周縁が次々に吸い込んで行く構図ができた・・・と同書をしめくくっていた。

 笠原英彦著『明治天皇』では、「現在の史料からでは、悪性の天然痘に死因を求めるのが妥当」と記していて、あたしも同書記述の方がクールな判断だろうと、読書備忘に記したばかり。目下は佐々木克著、永井路子著『岩倉具視』を読んでいるが、共に“噂”を否定している。

suwajinjyaa_1_1.jpg あたしは東京生まれゆえか、どうも「薩長」は好まぬゆえに、明治維新も関心が薄い。それじゃいかんと勝海舟、山岡鉄舟ら東京側の維新関連書を少し読んだ。大日本帝国憲法ができる経緯を少し勉強した。それで終わりと思っていたのに、なんと!自宅地の鎮守様「諏訪神社」は明治15年の明治天皇「近衛兵射的砲術天覧」から菊の御紋になり、隣の元「別当・玄国寺」は書院が「岩倉具視邸」と知った。今度は岩倉具視にひっかかっちゃった。

 机には五冊の岩倉関連本。読むと、すぐ眠くなる。「おまいさんも歳とったねぇ。読みながら、また眠っていたよぅ」とかかぁが笑う日々に相成候。『江戸名所図会』には諏訪神社と別当・玄国寺の絵(上)があるも、本文はなし。写真下は「諏訪神社」。


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