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浅草や平賀京伝荷風死す [くずし字入門]

asakusa1_1_1.jpg 西村重長版『絵本江戸土産』中巻最初は「浅草晩景」。この文章に「志道軒」が出てきて、ちょっと驚いた。風来山人こと平賀源内の『風流志道軒傳』巻之一は、こう始まる。…爰(ここ)に江戸浅草の地内に、志道軒といへるえせものあり。軍談を以て人を集(あつめ)、木にて作たる松茸の形したる、をかしきものを以て、節を撃て緒人の臍を宿がへさせる~

 

平賀源内が志道軒をモデルに小人国、大人国、女人国、長脚国などを遍歴する滑稽本を出版したのは宝暦13年(1763)。アイルランドのスィフト『ガリヴァー旅行記』発表が1726年とか。源内の才、恐るべしです。また西村重長『絵本江戸土産』は宝暦3年刊ゆえ、すでに浅草の講釈師・志道軒は絶大人気を誇っていたこともわかる。

 

そして浅草で忘れてならぬのが、浅草寺奥の駐車場に忘れ去られたような山東京伝の机塚。没の翌年に弟・京山が建立。京伝が九歳から亡くなるまで使っていた机の碑。足も壊れた机のように我も老いた…の意の狂歌が刻まれ、裏には大田南畝による京伝略歴が刻まれている。そして浅草は晩年の永井荷風が通い続けた街。彼らは妙につながっているから面白い。大田南畝の処女作序文を書いたのが平賀源内で、南畝は京伝を引き立て続け、永井荷風は大好きな南畝年譜を作成。ゆえに「浅草は平賀京伝荷風死す」。「風死す」で夏の季語。

 

asakusabankei1_1.jpgm_kyodentukue1_1[1].jpg釈文は…。坂東巡礼の札所なれば。むかしより参詣多かりしに。御江戸御繁栄にしたがひ。参詣の老若雷門より。どろどろとおしやい。名物の海苔屋見世をのりこし。あさくさ餅のかどに至り。仁王門を過て。観音へ詣て。境内のかうしや。志道軒にわらひを催し。隋身門より馬道とほりを。遊里に過るもあり。門前の奈良茶。菜飯。ぎおんとうふの見世。酒屋茶店軒をならべ、繁昌いはむかたなき霊地なり ※釈文は上巻に続き、有光書房刊『絵本江戸土産 重長・春信画』解説・佐藤要人を参考にさせていただきます。

 あたしの浅草…。二十歳の頃か、古流と江戸千家のお師匠さんだった母は主に出稽古中心だったが、週一度は自宅稽古日。その当日、あたしは小遣いをもらって家を出た。その時に通ったのが浅草。寸劇混じりのストリップを観た。今は浅草へ行けば、荷風なじみの蕎麦「尾張屋」、洋食「アリゾナ」、たまにどぜう「飯田屋」へ行く。以上<重長版『絵本江戸土産』中巻「浅草晩景」私流メモ1>


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