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へっつい考1:裏長屋の竈 [暮らしの手帖]

hettui6_1.jpg 伊豆大島で薪ストーブを愉しむゆえに「囲炉裏」や「竈(へっつい)」にも関心あり。生田緑地の「日本民家園」、小金井公園内の「江戸東京たてもの園」、伊豆大島「郷土資料館」などの<古民家の囲炉裏・竈>を見てきたが、江戸は裏長屋の「竃」も気になる。過日、天保5年(1834)の大火事「かわら版」を筆写して、なおさら気になってしようがない。

 

自転車で「深川江戸資料館」へ。ここには天保年間(18321844)の深川佐賀町の表長屋、裏長屋が再現されている。裏長屋は九尺二間(間口九尺約2.7㍍)、奥行二間約3.6㍍)の3坪、または5坪。「ぼて振りの政助」「木場の木挽き職人・大吉」は三坪の4畳半。妻子持ちの「つき米屋職人・秀次」や「三味線お師匠さん」の部屋は5坪か。この竃で薪をメラメラ燃やせば、火事にならぬわけがなかろうに…。

 

写真撮影可で、各部屋の「竃」を撮らせてもらった。粘土を固めた炉周りが、なんと木製ではないか。火が直接あたる部分に銅板が覆ってあるだけ。竈は一つと二連のもの。さらに表長屋の船宿「相模屋」は料理も供したか、全銅板で覆った工芸品のように立派な二つ炉の竃だった。

funayadohettui1_1.jpg同館ガイドさんに「煙はどうしたんの」と訊ねれば、軒下の「無双窓」を教えてくれた。三寸(約9センチ)巾の板の二枚重ねの開閉で風を出し入れ。またひさし屋根に縄で開閉の天窓(煙り出し穴)もあり。竃の上には鍋と釜。脇に水瓶、水桶、流し台(どぶ溝あり)、七輪、火吹竹など。部屋が狭いために上り框に腰かけての作業だろう。

 

これら竈については『守貞漫稿』に詳しいとか。江戸後期の生活記録風の全30巻。それを3冊に収めた復刻書あり。また江戸暮らしを克明に記した『馬琴日記』に炭や薪についての記録があるかもしらん。まずは『守貞漫稿』をひもといてみる。(続く)


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