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へっつい考2:『守貞漫稿』の竃 [暮らしの手帖]

hettuiinnsatu1_1.jpg喜田川守貞著『守貞漫稿』は、天保8年から30年間に及んで江戸文化を京都・大阪と比較しつつ絵入りで解説された全35巻の類書(百科事典)。復刻版が1981年に東京堂出版より刊。そこから「竃」の項を探した。

 

まずは『京坂竈之図』(図は俗字=くにがまえの中にムと面で、その略字)を読む。手書きの「漢字+カタカナ」文。読むも難儀だが解読を試みた。

 竈ヲ俗ニ「ヘツイ」ト云。又訛テ「ヘッツイ」ト云也。図ノ如キヲ「三ツヘッツイ」ト云。竈口三アル故也。家内人数三五口ノ家、大略(たいりゃく)用テ(カタカナのくずし字のテ)、多人数ノ家ニハ、竈口五口七口九口等アリ。五ツヘッツイ七ツヘッツイト云也。竈土色黄也、黒ヌリ無て、又銅竈ヲ用ヒズ。又京坂ノ竈ハ場ヲ間ニ、床ヲ背ニス。江戸ハ反也。又図の如ク鉄漿壺(てっしょうつぼ=おはぐろの液の壺?)ノ坐アルコト(コト=カタカナの合字)必ズトセズ。不潔〇者亦多有て。又竈口ノ前及ビ竈底等平瓦ヲ敷ク。竈口ノ周リモ亦瓦ヲ用リ、又竈臺多クハ杉材也。

 京坂と江戸の竈の大きな違いは、京坂が床向きで、江戸は床に腰かけて壁向きに設置。また江戸の竃は黒塗りが多く、鉄漿壺もなし。

 

 次に『江戸竈図』 俗ニヘッツイト云。銅竈ヲ銅壺ト云。江戸ノ竈ハ、必ズ場ヲ背ニ床ヲ前ニス。人数ニ三人ノ者、専ラニツ竈ト云、火口ニ所。下図ノ如シ。六七人家内人数ノ家ニモ用テアリ。多人数ト雖(いえど)モ、竈口大略三ツ竈也。(以下略)。

 

hettuiinsatu2_1.jpgそして文章のみの説明。…前図ノ如ク石台竈アリ。多クハ槻台(槻=き、つき。けやき種。ツキダイ、キダイ。図にケヤキとあるからケヤキダイと読んでいいのか)也。又極小戸ハ下図ノ如ク全ク土製竈ヲ用ヒ、多クハ銅壺ヲ土竈ニ交ヘ製ス。上図ノ者ハ大釜ノ所。土竈一口其他銅壺二口アリ。此図ノ銅壺三ケヲ合テ二口ヲ備フ。此中銅壺ヲ分銅ト云。(略) 銅壺ニハ水一盃ニ盛ル。竈ノ焚ク火気ニテ壺中ノ水モ湯トナル。〇水及び諸具及び衣服洗濯等、此湯用也。鍋釜を掛る口の四隅に小口を設け、柄〇を以て台中の湯を汲む備ふ。又土竈を交えず全竈銅壺の者あり。是を惣銅壺と云。

以下略だが、江戸の長屋は狭いので竈を失くして七輪を用いるの意が書かれていた。江戸の暮しを紹介する多くの書の出典元が、同著と推測される。(続く)


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