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(6)遊女の封じ目 [江戸生艶気蒲焼]

 前回の続き文は… ふミ(文)のもんく(文句)にハ、だいぶでんじゆ(伝授)のあることさ。ふうじめ(封じ目)をつけぬと、ゑん(縁)がきれると申やす。ふミのすへ(末)へおさな(幼名)をかくよふになるとむづかしね。

 「文の文句」に校注(浜田義一郎)があって「女の恋の手紙」とあった。古語辞典で「文」をひけば上代では文書、書物、漢学、漢詩など広義だが、近世では「文=恋文」とあった。その「文」には様々な伝授があると言う。そのひとつが「封じ目」。今なら封書の封に「〆」。略字ではなければ「締」、または楕円形のなかに「緘(カン・とじる)」の字を捺印。それも今は姿を消した。

遊女は手紙を巻いた端を折り曲げて糊をつけ「封じ目」に「通う神」とか「五大力」と書いたそうな。「通う神=道祖神」で、恋の文・心が相手に届きますようにの願いがこめられた。「五大力」は京都・醍醐寺の「五大力尊」。歌舞伎や浄瑠璃の「五大力恋緘(こいのふうじめ)」で、芸子・菊子が三味線の裏皮に恋変わりせぬ誓いとして<五大力>と書く場面で…乁いつまで草のいつまでも~と唄い出される「めりやす」が流行ったせいか。

まるで子供の好奇心で、今度は「いつまで草」を知りたくなった。古語辞典では「何時迄草=木蔦(キヅタ)」の異名とあり。大きな木や壁に這い登ってゆく、あの蔦木だ。心変わりせぬはいいが、あんな感じでまとわりつかれたらイヤでございます。また植物書には「マンネングサの別称」。再び古語辞典で「万年草」は高野山や吉野に生える苔とあり。さて、この「めりやす」はどちらの植物をさしているのや。

そして本文末に遊女名ではなく「幼名=幼い時の名」を書くようになると、これは商売抜きの気持ちですよのメッセージ。

  

吹き出しは…艶二郎「とんでもない浮名の立つ仕打が、ありそうふなものだ」

志庵「ひつさきめ(裂き目)にくちべに(口紅)のついてるのハ、いつでもぢもの(地者)のふミでハねへのさ。どねへにじミ(地味)でもミヽ(耳)のわきニまくら(枕)だこのあるのでしゆうばいあがり(商売上がり)ハ、ソレじきにしれやす」

 

校注では、遊女が巻紙を切るに口で濡らして裂くので口紅がつく。それが特有の色気になると説明されていた。今は手紙もメールになって、色恋の情緒もなくなった。 「ぢもの(地者)=素人娘」。「どねへに=どのように」だが、これは江戸弁っぽい。今でも遣われる。「枕だこ」から遊女だとわかるとは恐れ入谷の鬼子母神だ。あたしはキーボード以前の万年筆時代のペンタコが今でも残っている。


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