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(8)芸者おゑんに狂言を仕込む [江戸生艶気蒲焼]

uwaki4_1.jpg 絵は芸者・おゑんの家に志庵が頼みごとに来たところ。棚に三味線の箱がある。おゑんは帯締めなしの幅広い帯。わざわざ「踊り子」と記されてい、校注で「橘町・柳橋辺に多かった女芸者の称」。柳橋は神田川が隅田川に合流する辺り。橘町はその南側で現・東日本橋三丁目。当時はそんな色っぽい町だったとは想像し難い。

 ゑん二郎ハやくしや(役者)のうちへ、うつくしきむすめ(美しき娘)などのかけこむを、うわきなことゝうらやましくおもひ(浮気な事と羨ましく思い)、きんじよのひようばんのげいしや(近所の評判の芸者)おゑんといふおどりこ(踊り子)を、五十両にてやとい、かけこませるつもりにて、わるい志あんたのみきたる。志庵「これがたのみの、ともかくも、あやかり申て、ちとしゆつせのすじ(出世の筋)さ」 おゑん「かけこむばかりなら、ずいふんしようちさ」

 役者に夢中の女が、その家に駆け込むという〝狂言〟を仕込んだってこと。小生は隠居するまで音楽業界の片隅で生業ってきた。アイドルや演歌歌手に老若男女が夢中になる姿をイヤというほど見てきたが、自分には芸人に夢中になるって気持ちが微塵もなく、この辺のファン心理ってぇのがどうもわからない。

 さて五十両とは。先日、化政期貨幣の現代換算を勉強したばかり。一両が十二万八千円で、五十両は六百四十万円相当。当時の大工年収の二倍強。この話がいかに馬鹿げているか。

 おゑんを模写するも、うまく描けなかった。描き直せばいいが、基本はくずし字も絵も一発書き。谷峯蔵著『写楽はやっぱり京伝だ』に面白い分析あり。「写楽の病的線描と京伝の心臓疾患」で、写楽の病的線描は第二期に始まり、第三期に顕著になったと指摘。起筆の不安定さ、線の震え、よどみ、結滞。これらは同時期の京伝の心臓疾患と合致すると「写楽=京伝」説の判断材料のひとつにしていた。あたしの模写は筆で絵を描くが初めてに加え、老人性諸病症のデパートの感が否めぬ。

 追記:浮世絵の版下絵を描くには、墨や絵具がにじまぬように、まず紙に膠(にかわ)を水に溶かして明礬(みょうばん)を加えた礬水(どうさ)をひいておく。(宇江佐真理『寂しい写楽』より)


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