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北斎の謎の深さや朧闇 [北斎・広重・江漢他]

seikyouji_1.jpg 元浅草・誓教寺の北斎お墓を訪ねた後、高橋克彦『北斎殺人事件』を読めば、とんでもない記述に出くわした。会話文だがその部分をかいつまんで紹介する。

 ~昭和のはじめに北斎の死体が完全な形で発見されたことがあるんだよ。(略:それを書いた)筆者は美術評論じゃ名前の通った秦秀雄さんときた。(略:秦夫人の実家は誓教寺で、夫人は父の住職から聞いた話だとして)~それは昭和五、六年のこと、誓教寺が市区改正のために墓地縮小を迫られ、古い墓の移動が行なわた。北斎の墓を掘り起こしたら、分厚い箱にぶち当たった。箱の中にすき透った水が腐敗を防いだのか、まるで生きている姿そのまま。白髪交じりの髪を結った長身の老人の姿が~

 だが、その遺体は他の墓の骨と一緒に埋め戻された、と続く。小説ゆえ信用できる話じゃないが、まずは同寺縁起から。浅草新寺町に651坪を拝領とあり。「江戸切絵図」を見れば、この一画はお寺ばかりで、現在は民家・商店もあるゆえに、当然ながら市区改正の墓地縮小があったことはうかがえる。中村秀樹『北斎万華鏡』にはこうある。~北斎の父祖の墓らしい「仏清墓」とある青味がかった墓石の前で、住職は立ちどまって付け加えた。「北斎の遺体は、この墓石の下に埋葬され、後に二度改葬されました。骨は太く、大きな人だったという、改葬のときの言い伝えがあります」。箱の中に水があって腐食をまぬがれた~なぁんて話はない。次に「秦秀雄」を検索すれば実在人物なり。井伏鱒二『珍品堂主人』のモデル。魯山人と共に高級会員制料亭を経営するもの、後に彼と喧嘩別れ。『珍品堂主人』は映画化されて主人夫妻は森繁久彌・乙羽信子が演じた。

hokusaieisen_1.jpg 別サイトで「~鑑定団」の中島誠三郎が、若い時分に秦秀雄から偽物を掴まされて「いい勉強をした」とかがあり。石川県「久谷青窯」の秦燿一氏の母が秦秀雄夫人というサイトもあり。また別サイトでは、北斎の遺体は「白髪交じりの髪を結んで~」とあるが、死亡時には禿ていたから、これは ガセネタだという文にも出くわした。

 改めて誓教寺の北斎像を見れば「まぁ、禿てはいるが後頭部に白髪がありそう」な気もする。天保13年、83歳の自画像は、白髪振り乱した容貌なり。次に有名な渓斎英泉描く北斎像を見た。「為一(いいつ)翁」(文政3年の61歳から82歳まで使用の画号)と辞世句「人魂で行きさんしや夏のはら」が書かれていた。北斎はすっかり禿ていた。英泉は北斎より「可候(かこう)」の名を譲り受けている関係ゆえ通夜も葬儀にも出席しただろから、この絵の姿は信用していいだろうと思った。遺体はすっかり禿ていたんだ。

 だが、ここで壁にぶち当たった。英泉が亡くなったのは北斎死去の前年・嘉永元年7月で、北斎没は翌2年の4月18日。浅草聖天町遍照院寺内の仮寓で死去し、元浅草の誓教寺に埋葬。さて、辞世句まで書き込まれた英泉の絵は、いつ描かれたのだろうか。あたしは北斎のミステリーに迷い込んでしまった。エエッ、北斎は「隠密」だったと!(高橋克彦『北斎殺人事件』)。そして中村英樹『北斎万華鏡』には~ ある人は北斎を空想的に隠密に仕立てたけれども、考えてみれば、スパイは何かのために自己を犠牲にするもので、北斎はあくまで自己の成り立ちの根拠にこだわるから、隠密説を受け入れることはできない。 


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