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(15)花魁の床入り~デジタル和印 [江戸生艶気蒲焼]

uwaki12_1.jpg艶二郎「てまへがおれがとこへくると、あつちらの大じん(実は志庵)はやけをおこして、やりてやまわし(遣手や廻し)をよんで、こゞとをいふうちのこゝろもち(小言を云う内の心持ち)のよさㇵ、どうやすくふんでも五六百両がものはあるさ」 浮名「ほんニぬしはすいきやうなひと(酔狂な人)でござりんす」 志庵「おれがやくもつらいやくだ(俺の役も辛い役だ)。ざしきのうちㇵ大じんで(座敷のうちは大尽で)、とこがおさまる(床が収まる)と、まきへのたばこぼん(蒔絵の煙草盆)とおればかり。これもとせい(渡世)だとおもへバはらもたゝぬが、五ッふとん・にしきのよぎ(錦の夜着)でねるだけ、ぢにならねへ」

 金を使うが冷たくされる大尽の怒り・愚痴を、遣手婆さんや男の雑用係りからモテ男が伝え聞く~。そんな仕込みをして〝あぁ、いい気分だ〟とほざいている。「ふんでも=値踏みをしても」。「床が収まる=酒宴が終わって床入りへ」。「まきへ=まきゑ(古語辞典)」。上級遊女の部屋には「蒔絵」の煙草盆があるそうな。だが肝心の志庵の部屋には女郎はいず、艶二郎の部屋に行っていない。「五つふとん=三つ蒲団をオーバーに言っている」。「ぢ=痔ではなく=持=引き分け、あいこ」。 

 この辺は吉原を知らぬゆえ、洒落もピンと来ない。絵は五つ蒲団、蒔絵の煙草盆の部屋に志庵がいて、手洗い場の隣の煎餅蒲団の部屋に艶二郎。その間に乱れた衣裳の廓芸者・おゑんが部屋を移動中の構図。ここは、いやらしっぽく模写してみた。ここから先は「和」の世界だろう。

 浮世絵に「和印」「和本」は欠かせぬ。真面目に生きてきたあたしは、その意がわからなかった。「和=わらい本、わらい絵、わいせつの〝わ〟」。古書業やテキヤさんの間では春本・春画の隠語。合図は指で輪を作るそうな。今は昼間でも歌舞伎町を歩いていると、お兄さんが隠居のあたしにも「DVD、DVD」とささやいてくる。「和」もデジタル映像の時代となりにけり。


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