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「神奈川沖浪裏」を模写して~ [北斎・広重・江漢他]

hokusainami2_1.jpg 山東京伝『江戸生艶気蒲焼』の文字・絵を筆写していたら、葛飾北斎『富獄三十六景・神奈川沖浪裏』の模写遊びをしたくなった。『富獄三十六景』は天保二年(1831)刊で、なんと北斎七十二歳。素晴らしき高齢者ぞ。

 表題は「三十六景」だが、実際は錦絵四十六枚。全刊行が天保四年頃らしい。その構図は大胆にして斬新。西洋絵画にジャポニスム旋風ぞ。北斎は定規やコンパス(ぶんまわし)を使って、多くの対角線・円・三角などを駆使して構図を決めたとか。また色は「ベロリン藍」(プルシャンブルー)。プロイセン王国(現ドイツ北部からポーランド西部)の首都ベルリンで発明された顔料。落款は「北斎政為筆」。

 実は浮世絵の浪には思い入れがある。三年前に小石川植物園温室で「ムニンタツナミソウ(無人立浪草)」をマクロレンズで撮った。「あぁ、名の通り、浮世絵で描かれる立浪(波頭)の形だ」。調べれば、それは通称「雪村浪」。室町末期の雪村周継が描き始めで、さっそく雪村評伝本を読んだ。そして詠んだのが「雪村の波頭の花や砕け咲き」

 その後、伊豆大島で荒れた浪を高速シャッターで撮った。モニターで確認すれば、そこに「雪村浪」の形があった。絵師の観察力の鋭さを再認識した。「雪村の波頭をカメラ止めてをり」。

 大波と富士山の図なら、伊豆大島でも絶景あり。磯に激突する大波越しに海越えの富士が見える。だが北斎の絵は岸からではなく、沖の波間に望む富士。こんな怖い海に老人・北斎が身を置くワケもなく、着想と想像力・構成力ゆえ。★遠景(無限遠)の富士山、浪裏近景の遠近法の中心点。そこから生まれるダイナミズム。複数の中心。北斎は、統一した全体を描くために発明された西洋の遠近法を逆手にとって、多くの中心点間の力学に応用した。★価値観の流動化が人間の足もとを不安定にし、それがかえって自己の存在確立への意思を目覚めさせた。★北斎は、存在論的な人間主体の把握が希薄な日本の伝統のなかで自己の確立を試みつつ、その自己の<死>を超えるための芸術を志した。そこには、覚めた陶酔に浸る静かな救いがあった。(★印は中村英樹『北斎の万華鏡』)

 一度は自分も描いてみたかった「浮世絵の浪=雪村浪」。かくして「ゼブラ筆ペン+コピー用紙+ガッシュ白」で舟抜きで「神奈川沖浪裏」を模写。昼日中にこんな遊びができる隠居も愉しいが、死ぬ(九十歳)まで画と闘い抜いた北斎は凄い・凄い。


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