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1:「風鈴山人」とは誰だ [甲駅新話]

kouekisinwa_1.jpg 山東京伝『江戸生艶気蒲焼』全文筆写と全絵模写を終えた。これは仮名中心だったゆえに、今度は漢字くずし字にトライです。さて、どの戯作を読みましょうか。ここは山東京伝を引き立てた大田南畝作と言われる『甲驛新話(こうえきしんわ)』が妥当だろう。

 大田南畝については「マイカテゴリー」を設けているので、ここで経歴などは贅せず。同作は安永四年(1775)刊で、南畝ならば二十七歳の作。牛込仲御徒町(現・新宿中町)在住で、版元は市ヶ谷左内坂下の富田屋新兵衛・新甲館。あたしは大久保から牛込中町を右折し、左内坂に設けた事務所に通う時期があったので、なんとも親しみが湧く。

 始める前にまず、早稲田大学図書館データベース『甲驛新話』原本を参考にしたことを記しておきます。なお、資料一覧は最後に掲載。さて、この洒落本の最初は百字ほどの漢文で「馬糞中咲菖蒲述」とあり。「序」は「風鈴山人水茶屋で書す」とある。その正体は誰だろうか。

edomiyagejyuku_1.jpg 大田南畝デビュー作『寝惚先生文集』の序文を書いたのは「風来山人(平賀源内)」で、これまた源内だろうか。同年の源内は荒川通船工事や秩父木炭の江戸積出し、エレキテル復元前年で奔走中。書いたのは大田南畝が通説。岩波書店「大田南畝全集」にも収められているし、「日本古典文学全集」にもそう記されてい、森銑三著作集『大田南畝作洒落本小記』もそう書かれている。

 永井荷風作成の「大田南畝年譜」にも『甲驛新話』は「山手馬鹿人」とされている。これは続編『粋町甲閨(すいちょうこうけい)』著者が「山手馬鹿人」で、彼が『甲驛新話』を書いたと記しているため。その「山手馬鹿人」が大田南畝だとされていたが、最近になって疑問符がついたらしい。新宿歴史博物館刊の「『蜀山人』大田南畝と江戸のまち」(平成二十三年刊)では、『甲驛新話』の著者は南畝とは別人説で「年譜」から同作を外している。これはどうやら平成二十年の「日本近世文学会」発表の藤井史果『山手馬鹿人・大田南畝同一人説の再検討』によっているらしい。

 まぁ、あたしは学者ではないゆえ、この件には立ち入らぬ。従来説の浜田義一郎箸によれば、大田南畝が自ら版下を書いたそうで、筆写するは若き南畝に近づく気分でやってみましょう。また著者正体が誰であろうと、今から二百三十九年も前の甲驛(内藤新宿)を描いた洒落本には興味ひかれます。幼児期に新宿御苑の池に落ちて大木戸門前の親戚の家に泣き込み、社会人第一歩が新宿御苑前の広告代理店で、初めてオフィスを構えたのが昔の新宿厚生年金会館の並びのビルの一室。さらに御苑前の広いロフトへ移転。新宿は我が街でもあります。

 絵は『絵本江戸土産』(広重)の「四谷大木戸内藤新宿」。~四谷通りの末にして甲州街道の出口なり、この宿美麗なる旅店多く軒をならべ、その賑ひ品川南北の驛路に劣らず」。なお『甲驛新話』は勝川春章の絵が一点のみ。『江戸生艶気蒲焼』模写で芽生えた筆ペンでの絵心を中断せず、いろんな浮世絵の模写遊びも並行しつつやってみましょう。次回は「序」から。


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