上になったり下になったり(22) [甲駅新話]
<谷>どふもかゝあがやかましいよ
<綱>エゝ、あつかましいのふ
<三>そんなら、お出なすか。お休なんし
<綱>ハイ、あなた、おやすみなんし
<金>あゐ。御きげんよふ
<綱>三沢さん
<三>アイ、もふめへりやすめへ
<金>谷粋さん明日、ホンニ寝忘れたら、どふぞ起しておくんせんし
<谷>サア、おさらば・おさらば
<三>モシモシ、たばこ入が有いすよ
<谷>オット、ありが・ありが ~<谷・綱> 二かゐへ。<谷・三>ハかやに入る。
<三>手をたゝく <はる>来ル~
<三>はるのか、是、エゝ子だからの、よふく火をいけての(蚊帳の季節に火をいける?=炭に灰をかぶせて=煙草の火だねか)。そして茶も一ツ持て来てくりや
<はる>あい
<金>跡のほうをよく押付なせへ、蚊がへへろうよ
<三>じよさいハおぜんせん(如才=手ぬかり、はありません)。よふくしいゐした
<金>今夜もあついのふ
<三>それでも、いつち爰の座敷が涼しうおぜんすよ
~<はる>火入、茶持来ル~
<三>ヲ、よくした・よくした
<はる>ぬるうごぜんす
<三>ヲイ、よしとし。往て寝や
<はる>アイ、お休なんし
<三>茶を呑なんせんか
<金>いやいや
<三>たばこハへ
<金>たばこもいや
<三>オヤ、きついあゐそ(愛想)づかしさ。そんならおらも呑めへ ~とうちわ取て遣ひながら金公が方へ風の行よふにする~
<金> アゝ、ゑへ風だ
<三>是ばつかりお気に入いしたの
<金>まだ気に入た事が有のさ
<三>なんだへ
<金>なんでもさ
<三>サア、いひなんし
<金>外でもねへ、美しい所が気に入た
<三>ナゼ、そんな事をいひなんす ~と、こそぐる~
<金>アゝ、御免だ・御免だ。どふもそれでもうつくしい物を
<三>まだいひなんすか
<金>アゝ、あやまつた・あやまつた
<三>そんならだまつて寝なんすか
<金>寝るとも・寝るとも
<三>ぬしやア、年ハいくつへ
<金>あてて見な
<三>あてんしようか。二か三でおぜんせう
<金>三十か
<三>ナニサ、二十のうへがさ
<金>こりやア、ありがてへ。酒でもかをふ
以上の文を読んでいると「言文一致」は、江戸後期・近世文学で、すでに確立していたのではあるまいかと思われる。ちなみに「言文一致」を辞書でひけば、こんな説明になる。
~日常用いられる話し言葉によって文章を書くこと。また、特に明治期を中心として行われた文体改革運動をいう。明治初期より、その運動ならびに実践が行われ、二葉亭四迷・山田美妙・尾崎紅葉らが小説に試み、明治40年代以降、小説の文体として確立した。その後、次第に普及して、今日の口語文にいたっている。
ちなみに二葉亭四迷は『小説神髄』『当世書生気質』の坪内逍遥アドバイスで、三遊亭圓朝の落語口演速記を参考にした、は有名なエピソード。改めて言うまでもなく、この『甲驛新話』は全編会話文で構成。しかも郊外から内藤新宿に馬をひいてくる馬子らの方言丸出しの会話、加えて次に出てくる隣座敷から聞こえる田舎客孫右衛門と遊女・折江の会話の妙。
すでにこの時代の戯作で「言文一致」はとうに完成されていたと言えそう。坪内逍遥も江戸戯作好きだったとか。「文言一致」の説明は、江戸後期の黄表紙や洒落本の時代にすでに確立されており~と記すべきじゃなかろうか。
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