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湾岸5)ゴミの島々から恐竜橋へ [新宿発ポタリング]

yumemarina2_1.jpg 「ゴミの島々」について記したからには、現場にも行かねばなるまい。新宿から大手門より永代通りへ。門前仲町を過ぎ、木場手前で三ッ目通りを右折。見知らぬ街に驚きつつもひたすら走る。枝川を左折すると明治通りにぶつかって南下。「夢の島大橋」を渡った。

 左に「夢の島マリーナ」(写真上)。江の島や佐島より広大なマリーナ。係留キャパは660隻で、最短艇長19ftが年間40万円ほどらしい。園内に入る道がわからぬゆえ自転車を小脇に抱え(小径自転車の良いところ)歩道橋を渡って入った。

daigofukuryu_1.jpg まず眼に飛び込んできたのがマリーナ前の「第五福竜丸展示館」だった。15号埋立地(若洲)に破棄されていたのを保存とか。「第五福竜丸」が米国水爆実験の「死の灰」を浴びたのは昭和29年(1954)。これを機に反核運動が始まり、水爆実験で眼を覚ました「ゴジラ」(同年製作)が動き出した。

 「築地市場」では同船のマグロがガイガーカウンターで高濃度反応し、こっそり市場内に埋めたとか。だがビキニ海域で漁をしていた遠洋漁業船は多く、すでに胃に収まったビキニマグロで日本中が大騒動。市場はセリもできぬ事態に陥った。築地市場にはビキニマグロを記憶するプレートがあるそうな。石碑を作ろうの運動で完成した「マグロ塚」は、築地に置けず同館外に展示。

 「夢の島」は荒川河口に接している。対岸は葛西臨海公園で、隣が旧江戸川を挿んでディズニーランド。先日(2014年10月13日)の東京新聞に福島原発による東京湾のセシウム蓄積データが発表されてい、最も高濃度だったのが荒川河口だった。昭和29年の「第五福竜丸」と共に、ここは放射能問題に欠かせぬ地になってしまった。(この問題は改めて次回で)

wgl2_1.jpg 同施設の近くに「夢の島熱帯植物園」と「東京スポーツ文化館」、緑の広場。他に競技場が二つ、多数野球場があった。さて「夢の島公園」を抜けると「新木場駅」で、さらに南下して左に「東京ヘリポート」を見れば、その先に「新・夢の島=若洲」が広がっていた。右側が工場・倉庫地帯らしく、左側が「若洲ゴルフリンクス」中心の若洲海浜公園。ゴルフコース海側沿いのサイクリングコースを南に走った。

 走リ疲れた頃に「アッ」という突然の感じで眼前に「東京ゲートブリッジ」が現れた。羽田を飛び立った飛行機が次々に橋上空で機体を斜めに旋回して行き、巨大タンカーが橋をくぐって行く。そんな光景を楽しみつつコンビニの握り飯を二つ食った。振り返るとエレベーター塔(無料)あり。最上階が展望台で、下の階が橋の歩道に繋がっていた。橋向岸の右側が「三代目夢の島=中央防波堤内側埋立地」で、左が「四代目夢の島=同外側埋立地」。さらに左沖が「五代目・夢の島=新海面処理場」。

tgb7_1.jpg 「東京ゲートブリッジ」からの景色を眺めながら、ここには東京のゴミ問題、東京電力・福島第一原子力発電所によるセシウム蓄積問題、原発・エネルギー問題、核実験、さらには埋立地にとって気になる海面上昇(温暖化)、津波、液状化~と問題山積み、その縮図だなぁと考え込んでしまった。

 自宅・新宿から若洲まで約19㎞だが、寄り道しつつの自転車往復で50㎞は走っただろうか。クタクタになって家に辿り着いた。次は東京湾の放射能汚染について考えてみる。


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