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湾岸4)文京区役所展望台から海を~ [新宿発ポタリング]

sinjyukufukutosin_1.jpg〝小径自転車〟が気に入った理由の一つが、路地裏まで気軽に入って行きやすいところ。だがチマチマ走っていると「地を這う虫」のような気がしないでもない。江戸時代はちょっとした高台に上れば眼下に海が見て、富士山も見えた。今の東京は走れどもビルまたビルで閉塞感がある。

 某日、そう感じて自宅7階窓から東に見える文京区役所の展望台へ走った。まず新宿副都心の高層ビル群を見た。ビル群の右端(写真中央右端)辺りにあたしの住むマンションあり。そこから右(北)を向けば池袋。サンシャインシティ(226.3㍍)と豊島清掃工場の煙突(210㍍)。さらに右(東)を見れば平さが際立つ下町で、地中から棒が突き出ているような東京スカイツリー(634㍍)。下に金色ウンコマークも見えた。

 次に東南へ眼を移して東京湾を探す。海は見えず。だが、ムムッ。ビルの狭間に見えるのは「東京ゲートブリッジ」ではないか。「夢の島公園」から「若洲海浜公園」を経て「中央防波堤外側埋立地」を結ぶ巨大橋、恐竜橋ぞ。

skytree2_1.jpg 僅かに見える「東京ゲートブリッジ」を見つつ、あぁ、これは〝ゴミの島々〟を結ぶ橋だと気が付いた。そこで東京都の環境局サイトを見た。『夢の島の歴史』が紹介されていた。私流解釈を加えて簡単にまとめてみた。

 「夢の島」埋立は、昭和32年12月から昭和42年。昭和40年6月、江東区南砂町に蠅の大群が襲った。口を開ければ蠅が飛び込む。「夢の島」から飛んで来る。東京23区の7割、毎日5~9千トンのゴミがそのまま「夢の島」に捨てられていた。都は各地に清掃工場(焼却工場)建設を決めたが、杉並区だけが地元住民の反対で建設決まらず。これに怒った江東区民が杉並区のゴミ搬入阻止。これが「ゴミ戦争」。

tgb2_1.jpg そんなゴミ戦争も忘れかけた昭和53年、緑も美しい「夢の島公園」開園。ゴミは「新・夢の島=若洲」埋立へ移った。約10年間の埋立を経た平成2年(1990)に「若洲ゴルフリンクス」オープン。当初はメタンガスが噴き出るゆえに禁煙だったとか。今は人気コースで、バーベキュー広場も出来ている。

 「三代目・夢の島=東京湾中央防波堤内側埋立地」は昭和48(1973)から昭和62年(1987)、「四代目・夢の島=中央外側埋立地」は昭和52年(1979)から。「五代目・夢の島=新海面処理場」が平成11年(1999)からの埋立。サイトには昭和49年から平成13年までの次々に埋立てられてゆく様子が航空写真で紹介されていた。なお焼却ゴミは生ゴミの20/1になり、建設資材スラグにしてさらに2/1。捨てるのはその残りだけになっている。

 「東京ゲートブリッジ」は〝ゴミの島々〟を結んで「臨海トンネル(海底)」で大田区城南島(大田市場)へ繋がっている。築地市場も間もなく豊洲に移ろう。ここには都民が食う野菜と魚、それらが生ゴミの焼却灰になって再びここに戻って来る図がある。そう思って文京区役所展望台を後にした。今度は自転車で「夢の島」まで走りましょうか。 


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