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鶉衣13:断酒辨‐下戸となりて [鶉衣・方丈記他]

dansyu1_1.jpg 小生のこと。何年か前に飲んだ後で気分が悪くなった。しばし酒を控えていたら、飲めなくなっていた。内臓が悪いのかしら。四十年余、酒は欠かさなかったが、なんだ!飲まずにいられるじゃないか。誰もが己の酒歴を振り返りながら也有「断酒辨」を読むのだろう。

 もとより季杜(りと=唐の李白と杜甫。共に酒飲みとか)が酒腹(しゅちょう=酒を飲める腸)もなければ、上戸の目には下戸なりといへども、下戸なる人には上戸ともいはれて、酒に剛臆の座をわかてば(ごうおく=剛勇と臆病の座。分けて座らせたことがあった)、おのづからのむ人かたにかずまへられて(数まふ=数えられて)、南郭が竿(う)をふきけるほども(南郭は竿=彼は竿・笙は吹けぬが、三百人の奏者のなかに交って吹く真似を装ったの故事。飲めぬのに飲めるように装って)、思へば四十の年にもちかし。

 されば(然れば、そうだから)衆人みな酒臭しと、世に鼻覆ひたる心はしらず。まして五十にして非を知りしかと(中国の故事。五十にして四十九年の非を知り)、かしこきためしにはたぐひも似ず(賢き通例の類に似ず)。

 近き比いたましう(痛ましい、ここでは苦しいか)酒のあたりけるまゝに、藻にすむ虫(甲殻類で〝割唐〟なる虫がいるらしい=われから=我から)と思ひたつ事ありて、誠に一月の飲をたてば、身はなら柴(楢柴=楢の枝=馴れにひっかけた)の木下戸(生下戸=全く酒の飲めない人)となりて、花のあした月の夕べ、かくてもあられるものをと(かくしてそうあってみれば)、はじめて夢のさめし心ぞする。(もう少し続くが、次へ)

dansyunoe_1.jpg 現代文に訳さずとも、知らぬ言葉調べをし、繰り返し読めば意が伝わってくる。「身はなら柴の木下戸となりて」は拾遺集の「手枕の隙間の風も寒がりき身はならはしの物にそ有ける」からとか。

 なお「上戸・下戸」は飛鳥時代後期からの律令制で「大戸・上戸・中戸・下戸」なる身分があって、婚礼の席などでその順で酒の量が決められていたそうな。もっとも飲めぬ身分が下戸だったとか。


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