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24:隅田川涼賦‐狂宴後のもの哀しさ [鶉衣・方丈記他]

sumidagawa3_1.jpg老人の碁会は仙家(せんか。仙人の棲家)のかげをうつし、役者の声色は芝居もこゝにうかぶかとうたがふ。卵子々々、田楽々々、瓜・西瓜、三味の長糸(切れても使える長い弦)売る声、西南(下流)にかしがましく東北(上流)に漕ぎめぐる。風呂をたく船、酒をうる船、菓子にあらぬ饅頭あり、鼓にあはぬ曲舞(鼓なしで扇子の拍子での曲舞・くせまい)あり。あるはみめぐり(三囲)、深川にうかれ、あるは両国の橋にとゞまる。遊ぶ姿ことごとなれども、たのしむ心ふたつならず。それが中にも、猶浅草の浅からぬちぎりたがへし、待乳山の待やわぶらんと、ふけ行く空に漕ぎわかれて、里にひかるゝ人もあるべし。

 「かしがましく=囂し」。うわっ、こんな字なんだ。「囂し=かしかまし、かまびすしい、かしまし」。「姦しい」ではない。漢和辞典で「姦しい=みだら、よこしま」。

 「風呂をたく舟」は今も「湯舟」の言葉が残っている。川移動の湯舟人気から銭湯が生まれた。最初の銭湯は、江戸城を造るための資材運搬水路で今もある「一石橋」から「和田倉濠」への掘の「銭瓶橋」際に誕生した。ネットに湯舟図があったので漫画風カットで描いておいた。「待乳山の待やわぶらんと」の「わぶらん=侘ぶらん=侘しく思う」。

yubune1_1.jpgさるはいかならむ遊びも、おなじ心におもてをならべて、見もしきかばと、こゝにだに物のかなしく事たらはぬ心地せむも 、はたにくからず、やゝ(あぁ)銀河の水東西にながれ、「あなにくのやもめがらす」、ひま白き松に啼きかはせば、さしも所せき舟も皆いづち行きけん。霧わたるそなたに漕ぎきえて、瓜の皮のみたゞようと暁の名残こそ、見しには引かへてまた哀なれ。

 「さるはいかならむ遊びも」は「さるは(然るは=とは云うものの実は)いかならむ(如何ならむ=〝推測するに〟どうであろうか)遊ぶも」になる。「おなじ心におもてをならべて」は「同じ心になってみれば」の解釈でいいだろうか。

 次の文も同じように解釈しつつ読む。「見もしきかばと(見るか聞いたならばと)、こゝにだに(だって)物のかなしく事たらはぬ(足らぬ)心地せむ(責む=辛い)も、はた(それでもやはり)にくからず(憎くない」。

 これを私流現代文にすれば「~とは云うものの、実は遊びというものを推測するに、あちこちも同じ気持ちになってみれば、見るか聞くかしても、ここにだってもの哀しく満ち足りない辛い気持ちもあって、特別に憎いというほどのことでもない」。

 「あなにくのやもめからす=可憎病鴉=遊里で夜明けに別れを告げるカラス」。「ひま白き松に啼きかはせば=松の隙間の(夜明けの)白い空にカラスが啼き交わせば」。「さしも所せき(塞き)舟いづち行くけん=あれほどビッシリだった舟は、皆どこにゆくのだろうか」。(隅田川涼賦・完) 


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