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ブログの写真をやめた弁 [スケッチ・美術系]

boen1_1.jpg ブログの写真を絵に変えて数ヶ月。なぜ絵にしたか? 絵は「上手・下手・いい・悪い」含めて〝個〟が如実に現れる。比して写真は機能・性能進化で誰もが同じような写真が撮れるようになって〝画一化〟が始まった。そんな写真に倦み、飽きたのが理由のひとつ。

 一眼レフは20代の頃から仕事と趣味で使ってきた。デジカメ過渡期に、仕事と鳥撮りで使った。難しいコンサート撮影でプロカメラマンを手配すると、使い込んだフィルムカメラと古い望遠レンズで現場に来た。一方、遊びの鳥撮り現場に行くと退職金と暇を得た隠居翁らが、プロも持てぬ白の超望遠レンズに最新デジカメを三脚にセットしてズラッと並んでいた。プロが白の超望遠レンズを持っていれば社の備品だったりした。

 ブログ前の「ホームページ」は、紙焼き写真をスキャンして写真アップ。だがデジカメの技術進化・発展・普及は驚異的。今、スマホCFの惹句はなんと!「一眼レフが嫉妬する」。別メーカーCFは雀のホバリング映像、つまり超高速動画映像を披露。ポケットに収まるコンデジも、35ミリ相当で1000㎜超が撮れる。高額で重いカメラ・レンズを持つ時代ではなくなりつつある。個人の技量・思惑よりデジタル技術が優り先行している。女の子も〝プロ並みの写真が撮れます〟で画一化が始まった。

 写真に代わるビジュアルとなれば〝手書き(描き)〟になる。描く行為は原初から変わらぬ〝個の作業〟だろう。ならば描くは無経験だが〝よし、描いてみよう〟と思った次第。「下手・拙い・悪い」などで描けば描くほど恥を〝かく〟。断るまでもなく、あたしは美大卒でもないし、デッサンをしっかり勉強したこともない。まぁ、あたしの絵は「ブログのカット絵」の範疇。その気持ちで描き続けてみようと思う。

 昔の文人はよく絵を描いた。俳人の絵は〝俳画〟で、作家が描けば〝文人画〟で、本格派も多かった。江戸時代に遡れば、山東京伝が絵師・北尾政寅だったように、戯作者の多くが元絵師だったりした。昔の人は書も嗜んだ。今は政治家・評論家が高説展開後に「ボードに提案を~」で掲げる字が小学生みたいな字でズッコケてしまう。あたしらが子供時分は、多くの子らが近所の書道教室に通ったものだが、書も忘れられたようだ。

 ブログの写真をやめて絵を描き、できるだけ書(小生の場合は〝くずし字〟)を書き、恥をかき続けようと思ったが、共に老いてからの初心者で四苦八苦。さていつまで続くやら。


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