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裸体にも小難しいぞマティス顔 [スケッチ・美術系]

matisse1_1.jpg<マティス・メモ:まずはじめに> 藤田嗣治はマティスが建てたニースの「ロザリオ礼拝堂」を見て、自分も礼拝堂を建てようと思った。マティスの礼拝堂はステンドグラスが特徴で、藤田の「平和と聖母礼拝堂」には見事なフレスコ画が描かれている。

 マティスは礼拝堂完成から4年後に84歳で亡くなり、藤田は礼拝堂完成から2年後に81歳で亡くなった。マティスはモネより29歳後輩で、ピカソの12歳先輩、藤田の17歳先輩で、1869年12月31日生まれ。

 マティスより11歳後輩の熊倉守一は「ルオーの厚塗りが嫌いで、マティスも嫌いで、ピカソほどわかりやすい絵はない」と言ったとか。1歳違いのピカソとは資質が違うのにピカソの何がわかって、マティスの何が嫌いかは言っていない。寡黙はずるい。

 小生はマティスの絵を見て「いいなぁ」と思った。アンリ・マティスは果たしてどんな人物で、どんな絵を描いた画家なのだろうか。その絵は画集で見ることができるも、その絵の意や人物についてわからない。

 ならば〝安易〟を求めずに分厚い関連書さまざまを読んでみることにした。最初のカット絵はマティス似顔絵。その風貌は、白髭を蓄えた晩年の志賀直哉に似ている。同じく細菌学者パスツールに似ている。色彩鮮やかでエロチックな絵が多いから享楽的・楽天的・助平で下世話な顔がお似合いだろうに、なんでこんなに小難しい顔をしているのだろうか。まぁ、読みつつ私流箇条書きにまとめて行くに従って、その謎が解けるかもしれない。以下、参考にした関連書一覧です。

 460頁もの分厚い評伝、ヒラリー・スパーリング著『マティス~知られざる生涯』(訳本、2012年刊)、ジル・ネレ著「マティス」、「マティスとモデルたち」図録、フランソワーズ・ジロー「マティスとピカソ~芸術家の友情」、メアリー・トンプキンズ・ルイス「セザンヌ」訳本、フォルクマール・エッサ-ス「アンリ・マティス」訳本、ジェームズ・H・ルービン著「印象派」訳本、ネットPDFの大久保恭子「世紀の転換期におけるヌード」他。


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