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野獣なら吠えてみようかマティスぞへ [スケッチ・美術系]

mado1_1.jpg<マティス・メモ4> ●1905年、マティス夫妻は南仏コリウール(スペインに隣接)へ。カラフルな果実、ピンクの家、漁師たちの生活。光と色が溢れていた。多数作品をパリに持ち帰った。伝統的手法と手を切った作品群。

●同年サロン・ドートンヌに「コリウールの開かれた窓」「帽子の女(マティス婦人)」そして「日本の着物」「散歩道」を出品。展示された第七室には他にドラン、マルケ、ルオー、ヴァラマンクらの作品。「野獣(フォーブ)の檻」と評され〝フォーヴィスム〟誕生。 

●「帽子の女」が500フランで売れた。点描が消え、よりゴーギャン風へ。これはコリウールにゴーギャン友人のダニエル・ド・モンフレがいて、彼の家でゴーギャン作品群を見たせいらしい。次に顔アップの「マティス婦人の肖像、緑の筋のある女」も大話題。

●1906年「生きる歓び」で点描のシニャックと決別。マティス個展がドリュエ画廊で開催。画商やコレクターが次々と誕生。画商ドリュエが近作まとめて2000フランで購入。ヴォラールが旧作まとめて2200フランで購入。後に経済支援とマティスに野心を与えるロシアの繊維業界の大物セルゲイ・イワノヴィッチも接近。スタイン家が「生きる歓び」を買い、スタイン兄妹を通じて〝洗濯船〟のピカソと知り合う。この時マティス36歳、ピカソ25歳。

●この時期のマティス急評価は、こう説明されている。「1905年:サロン・ドートンヌで人々は嘲りと笑い声を発し/1906年:敬意を払うようになり/1907年:畏敬の念をもって接した」。マティスの絵はコレクターが先を争って求め出す。同年セザンヌ死去。

 カット絵は「コリウールの開かれた窓」の簡易模写。この絵にはスーラの点描とゴーギャンの平塗りがミックスされている。影がない。実景を超えて光と色が溢れている。(続く)


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