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雀躍を描けずに沈む隠居趣味 [私の探鳥記]

suzumehanekouzou1_1.jpg 風景スケッチもスズメも描けない。だが新年早々から諦めるわけには参らぬ。再びスズメを描いた。「雀躍=跳ねるように小躍りして歓ぶ」だが、描けぬあたしは落ち込むばかり。かつて〝鳥撮り〟ゆえ、鳥はもう少し上手に描きたい。今度はペン画に淡彩。脚の骨格、羽根の構造も再確認した。(この絵では翼の骨格がまだ理解出来ていない)

 ところで鳥類画家・小林重三(しげかず)をご存じだろうか。小生の鳥撮り開始はデジカメ普及初期の頃。手許の鳥図鑑は写真。それもあってか迂闊にも小林重三を知らなかった。江戸時代の鳥図譜(図鑑)に関しては、弊ブログでも何度か記したと思うが、そのひとつ馬琴『禽鏡』は娘婿の絵師・渥美覚重が描いた。林鳥3巻・大鳥・湿鳥・水鳥の計6巻(300種)。

 そして明治20年、小林重三が生まれた。24歳で〝水彩画普及〟の大木藤次郎に薦められて鳥を描き始めた。明治45年に日本鳥学会設立。昭和8・9年刊の図鑑3巻『鳥類原色大図鑑』(黒田長禮著)1092種のうち1079種の鳥を原色で描いたのをはじめ、多数図鑑で活躍した。昭和50年、88歳で亡くなるまで鳥を描き続けた。

 下手なスズメ絵を描きつつ、彼の生涯を記した『鳥を描き続けた男 鳥類画家・小林重三』(国松俊英著)を読んだ。鳥が描けぬ小生に励みになる一節あり。端折って紹介。~風景や建物写生が上手かった小林だが、鳥は描けなかった。小林は標本の鳥をただ描くだけではダメと気付いた。大木藤次郎『水彩画の栞』に〝骨格を知れ〟とあり、別の本に〝動くものを瞬間に写生して記憶力を発達させろ〟とあった。彼は上野動物園に日参して鳥の写生をした。「もっと苦しまなければいい絵は描けない」。4年目、彼が描いた原色図版一枚が一頁掲載された。

 絵を描き始めて1年に満たぬ小生に鳥が描けるはずもない。スケッチブックを持って上野動物園に通おうかしら。


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