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北斎の足に伺う江戸暮し [北斎・広重・江漢他]

hokusaiasi1_1.jpg 「手」を描いたら「足」も描かねば〝片手落ち〟。日常で女の素足を見るは滅多にない。概ね「靴や靴下」。だが足を描く勉強は、やはり素足だろう。

 今回も北斎の足を模写。また気付いたことがあった。北斎の女の手はえらく艶っぽいのに、足は男女の区別がない。男女混合で足の模写をして、どれが女の足かわからない。(歌麿の女の足は、手と同じくぽっちゃり描かれている)

 江戸時代の女の下肢を想像する。襦袢から覗く太腿や脛が白く、筋肉質でなければ、それだけで艶っぽい。だが足には生活が拭えない。素足と足袋と草履と下駄。よく歩いただろう。外反母趾はなかっただろうが「タコ・ひび割れ・しもやけ・硬質化・鼻緒擦れ~」。娘時分のふっくら・つやつやな足の維持は、湯屋で踵を〝ぬか袋〟で磨く程度では叶わない。

 だが絵はフィクションぞ。北斎は何故に艶っぽい足を描かなかったのだろう。「北斎の足」をネット検索すれば「6本指」の考察はあるも、何故に艶っぽく描かなかったか」の疑問はない。以前、浅草寺の大絵馬寺宝展を観た。「この絵は足の描き方(デッサン)がおかしいと、若い絵師等がわざわざ観に来ました」と解説された大絵馬があった。足は手に比して描くのが難しい。

 足の部位各称を調べたがハッキリしない。例えば足裏の親指・小指付け根と土踏まずの間のぷっくりした部分。小指に続く外側、親指に続く内側など、説明者によって名が異なる。谷崎潤一郎はなぜに〝足フェチ〟で、足のどこが良かったのだろう。

 私事だが、、足に痺れを感じて病院へ行った。MRI検査で老化による「脊柱狭窄症」と判断された。また歩くと外側足根少球?がチクチク痛む時がある。そう医者に訴えたが無視された。かつてウォーキングのし過ぎで踵が痛めた。友人も同症状ゆえ弊ブログに記した。だがテレビでは執拗に〝爪先を上げて踵から着地を〟を繰り返す。何年も経って、やっと〝踵の痛み〟が注目され始めた。足は描くに難しく、整形外科の足も遅れているような。


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