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戸塚「霞日をとつかの駅路とつかは~」 [狂歌入東海道]

todukae1_1.jpg 六作目は「戸塚」。狂歌は「霞日をとつかの駅路とつかはといそぎて旅を双六のうへ」。この読み下しは「ボストン美術館」と同じゆえ間違いはなかろうが「とつかの」と「とつかは」の意が解けぬ。

 狂歌は本歌取り、駄洒落、地口遊び。有名文句のもじり、韻を踏む戯れ、「恐れ入谷の鬼子母神」など意味ない掛詞遊びなど。頓智力のない小生には辛い。この解読は宿題です。なお広重は「浮世道中膝栗毛滑稽双六」も描いている。

 保永堂版「戸塚・元町別道」は馬を縁台に横付けして下りる男、それを迎える茶屋女など様々な人物配置、細かい風景描写で逸品らしい。場所は戸塚宿入口の柏尾川に架かる吉田橋の辺り。「左りかまくら道」の道標は今も近くの妙秀寺に保存されているとか。

todukauta2_1.jpg 比してこの「狂歌入り東海道」は、山間道を早飛脚が走っているだけ。入手版画が安物で摺りズレ大で興醒めだが、これはどこを描いたのだろうか。ネット調べをすると戸塚宿の「上方見附跡」史蹟看板に、同じような山道を描いた広重「隷書東海道・戸塚」が紹介されているらしい。この絵もきっとその辺りと推測した。戸塚宿は江戸寄り「江戸方見附」から「上方見附」まで約2.2㎞らしい。

 戸塚宿は日本橋から十里半(約42㎞)。上方へ向かう旅人のほとんどがここで一泊。弥次喜多らもそのつもりだが、あいにく参勤交代ご一行が泊っているので泊れる宿がない。こんな狂歌を詠んでいる。

「とめざるは宿を疝気としられたり大きんたまの名のある戸塚に」。中村幸彦校注にこうあった。「戸塚には大睾丸の乞食が元禄頃からいて、その三代目は睾丸の上に鉦を置いてこれを打ち金を乞うた」。狂歌の意は「そんな大きんたまで知られた戸塚なのに、宿業を疝気(せん気=しない気)と知った」。疝気は漢方では下腹部や睾丸が腫れて痛む病気の総称。疝気は〝しない気〟で、睾丸にもかけて頓智がとてもよく効いた歌になっている。

 弥次喜多は結局、上方見附際の「本日開業」の宿に入る。二人は親子に成り済ます趣向を考えるが、女に相手もされず欲求不満のまま朝を迎える。


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