掛川「秋はてふ道の名あれと春風は~」 [狂歌入東海道]
第二十七作目は「掛川」・狂歌は「秋はてふ道の名あれと春風はかけしくすぬのうららにそ吹」。解読に手こずった。掛川の知識がないと推測もままならぬ。東海道は箱根を越えれば、知らない地ばかりだが、掛川だけは若い時分に幾度も通った。
ヤマハ「つま恋」で開催の春・秋のポピュラーソングコンテスト取材。その後に受賞者らが日本武道館で開催「世界歌謡祭」出場のための合宿場になってい、そこで彼らのプロフィール資料作りの取材。年に三度の「つま恋」通いを幾年か続けた。だが思い返せば、掛川駅に着けば先方車の送迎付きで、街の知識は皆無だった。
初句「秋はてふ」とは? 「かけしくすぬのうららにそ吹」とは? 絵から攻めてみた。この橋は掛川の二瀬川に架かる大池橋。向こう岸の鳥居先の建物は秋葉神社「遥拝所」。鳥居の所が東海道と秋葉道の分岐。掛川の名産が「葛布(くずぬの、かっぷ、くずふ=葛から作った布)」と知った。葛糸を横糸に、木綿や麻を縦糸に織ったものとか。ここまで分かって、改めて狂歌を漢字で書いてみる。「秋はてふ(秋葉という)道の名あれど(〝秋〟だが)春風はかけし(掛けし)くずぬの(葛布)うらら(麗)にぞ吹」。
弥次喜多らは掛川宿に入る前に、またバカをしていた。掛川の手前の塩井川で、旅人らが裾をまくって川渡り。そこに座頭が二人。彼らは二人濡れることはなかろうと〝拳〟勝負で負けた方が相手を背負うことにしたらしい。弥次さん、それを見てコッソリと負けた座頭の背に乗って渡った。喜多さんもその手を使おうとするが、途中でバレて川ん中にドボンッと落とされた。
「はまりけり目のなき人とあなどりしむくひははやき川のながれに」。喜多さん、はっくしょんと震えながら掛川宿に入った。ここで初めて挿絵もアップ。一九の自画か。絵もいい腕をしていたらしい。
追記:この欄を記した2日後の9月2日、ヤマハは「つま恋」を経営不振により12月25日で営業停止と発表した。
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