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二川「女夫石見るにつけてもふるさとは~」 [狂歌入東海道]

34futagawa_1.jpg 第三十四作目は「二川(ふたかわ)」。狂歌は「女夫石見るにつけてもふるさとはこひしかりけりふた川のやど」。ボストン美術館訳は「〝こし〟ひかりけり」だが「こひしかりけり」が正しい。「女夫岩(夫婦岩)見るにつけても故郷は恋しかりけり二川の宿」。

 二川は豊橋駅近くで、ここから伊勢市二見町の夫婦岩が見えたのかしら。〝机上旅〟ゆえ現地知らずが歯がゆい。時には地図で確認してみよう。江戸より浜名湖を越えて「荒井宿」へ。ここから海岸沿いに歩き、ややして内陸側へ「汐見坂」を上る。その先が「白須賀宿」。ここから「豊橋」方面に向かった途中にあるのが「二川宿」。

 上方からは新幹線「豊橋駅」の先、東海道本線「二川駅」先の線路沿い左側に「二川宿本陣」。ここには改修・復元された本陣、旅籠屋、商屋、資料館があって観光史跡になっている。専用サイトも開設されているから、机上のままで諸施設内容もわかる。

34futagawauta1_1.jpg 弥次喜多らは、二川の手前・境川が遠江(とおとうみ=遠州)と三河の境ゆえ一首。「遠刕へつぎ合せたる橋なれどにかはの國というべかりける」。遠州と三河は二川(にかわ=膠)で繋がっていると詠んでいる。「刕」は州の異体字。

 地口洒落はワード変換機能が便利。「にかわ」と打ち込めば「二川、膠」が出てくる。二川宿の名物は強飯(こわめし)で 「名物はいはねどしるきこはめしや重筥のふた川の宿」。「筥」も箱の異体字。重箱の蓋川~。

 弥次喜多らは問屋辺りで駕籠を降り、大名行列の一行に出くわす。弥次さん、勇ましく中間と口喧嘩。大立ち回り寸前に行列出発合図の拍子木がなって事なきを得る。

 「わきざしの抜身は竹と見ゆれども喧嘩にふしはなくてめでたし」。喧嘩の「嘩」は口偏に旁が花。原文には知らなかった異体字、旧字に出会えて愉しくなってくる。竹と節は縁語。「ふし=節」だが古語辞典には〝なんぐせ、いいがかり〟の意もあり。そして宿場を出た所に岩屋観音あり。

 「行きがけの駄賃におがむ観音も尻くらひとは岩穴のうち」。〝尻くらひ〟とは? 辞書に「尻くらい観音」あり。困ったときに観音を念じ、楽になると「尻くらひ」とののしることから、受けた恩を忘れてののしること、恩をわすれて知らん顔をしていること。道中ついでに拝む観音様でも〝尻くらひ〟と思わずに、岩穴の観音様と同じく有難く思いなさい、という一首らしい。

 彼らは途中で比丘尼一行と会い「煙草を一服」と求められ、下心で「煙草入れ」ごとあげるも、彼女らは脇道に逸れて去ってしまう。やがて吉田宿へ。


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松尾 守也

(翻刻) : 女夫石 見るにつけても ふるさとは こひしかりけり ふた川のやど
(原文) : 女夫石 見るにつけても ふるさとハ こひしかりけり ふた川の宿  東方紅 真先
(読み) : 女夫石 見るにつけても ふるさとは 恋しかりけり 二川の宿  東方紅 真先
(注)縁語: 女夫石・ふた川

なお、本文中に「ここから伊勢市二見町の夫婦岩が見えたのかしら。」とありますが、海辺に立って沖の船を眺めた場合、せいぜい4kmまでしか見えません(地球が丸いせいです)。
広重の晩年の作品「東海道張合図会」に「二川 女夫石」という謡曲の「高砂」の老夫婦に似た絵があえいます。http://akumamoto.web.fc2.com/fc5/page033.html
を、ご参照願います。この石が現存するかどうか分かりませんが、二川宿には当時存在していたのでしょう。


by 松尾 守也 (2017-02-02 21:55) 

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