石薬師「石薬師瓦と黄金まく人は~」 [狂歌入東海道]
第四十五作目は「石薬師」。狂歌は「石薬師瓦と黄金まく人は瑠璃の玉とも光る旅宿」。
伊勢参りに行く弥次喜多らと別れたせいか、狂歌解読がおぼつかなくなった。石薬師寺の正式名称が「高富山〝瑠璃光院〟石薬師寺」で〝瑠璃の玉〟はわかるも〝瓦と黄金まく人〟の意がまったくわからない。
同境内に一休禅師の「名も高き誓ひも重き石薬師瑠璃の光はあらたなりけり」があるそうで、その歌碑のくずし字を筆写した。
石薬師宿は、四日市宿と亀山宿の間が五里半(21.6㎞)と長かったので、天和二年(1616)に設けられたとか。旅籠わずか十五軒ほど。
絵は貴重な「問屋場(といやば)の図」。問屋場は御用向きの人馬の継立て、継飛脚、助郷(村民らが動員される労働課役)手配の場。馬や人を指示する「人馬指(じんばさし)」がいて、人馬や荷の数や賃銭などの「帳付け」もいる。馬の交換で荷の積み替え作業、馬の世話、裸で汗を拭っている馬方、いざ出発と鉢巻を巻く男たちが描かれている。
なお現「石薬師宿」は明治の国文学者・歌人の佐々木信綱の生誕地で、宿場は旧東海道の史蹟よりも佐々木信綱を前面に打ち出しているそうな。
2016-10-17 04:39
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