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『「いき」の構造』の荷風 [永井荷風関連]

ikinozu2_1.jpg まずは九鬼周造『「いき」の構造』で引用された荷風さんの記述部分をピックアップしてみる。<二「いき」の内包的構造>より~

 九鬼は「いき」の第一の微表(特徴を表すもの)は異性に対する「媚態」であると記し、その説明に荷風さんを引用している。~永井荷風が『歓楽』のうちで「得ようとして、得た後の女ほど情無いものはない」といっているのは、異性の双方において活躍していた媚態の自己消滅によって齎(もたら)された「倦怠、絶望、嫌悪」の情を意味しているに相違ない。それ故に、二元的関係を持続せしむること(交わらぬ関係の維持)、すなわち可能性を可能性として擁護することは、媚態の本質であり、したがって「歓楽」の要諦(ようたい、ようてい=最も大切なところ)である。しかしながら、媚態の強度は異性間の距離の接近するに従って減少するものではない。距離の接近はかえって媚態の強度を増す~

 これを下世話に言えば、息がかかるほど接近すればするほどに媚態は増し続くが、交わってしまえば倦怠が待っているってことだろう。哲学ってぇのは、なぜにこうも難しく言うのだろう。

 第二の微表は「意気(意気地)」(現・法政大総長の田中優子先生は、好んで〝意気〟を使っている)。第三の微表は「諦め(垢抜け・脱執着)」。<九鬼は「日本文化のまなざし」で自然(神道)・意気(儒教)・諦念(仏教)の融合が日本文化の特色だとも記している>

 次に<三「いき」の外延的構造> その主要な意味は〝人性的(人本来の性?)一般存在〟の「上品」と「派手」。〝異性的特殊存在〟の「いき」および「渋味」としている。それはそれぞれ反対意味をもっていて「上品⇔下品」「派手⇔地味」「いき⇔野暮」「渋味⇔甘味」だろうと述べている。その「渋味と甘味」の説明で、再び荷風『歓楽』を引用する。

 ~「其の土地で一口に姐さんで通るかと思ふ年頃の渋いつくりの女」に出逢って、その女が十年前に自分と死のうと約束した小菊という芸者であったことを述べている。この場合、その女のもっていた昔の甘味は否定されて渋味になっているのである。

 以下省略して記す。「渋味」の反対意味に「派手」も挙げられるが、異性的特殊性としてより「甘味」の否定で生じた「渋味」がいい。「甘味」から「いき」へ。「いき」を経て「渋味」に至る。荷風の「渋いつくりの女」は、甘味から「いき」を経て「渋味」に行ったに相違ないと記している。ここで九鬼周造の例の有名な哲学的図案を表示している。(カット絵はその自己流模写)

 荷風引用は<五 「いき」の芸術的表現>にもある。模様では横縞より縦縞の方がいき」。文化文政の「いき」な趣味として、横縞より平行線つまり二元性がより明確な縦縞が専ら用いられていた。そして「いき」な色彩は灰色、褐色、青色の三系統と記す。

 今度は「いき」な建築についても、荷風『江戸芸術論』からの引用。~「家は腰高障子を境にして居間と台所との二間のみなれど竹の濡縁の外には聊(ささや)かなる小庭ありと覚えし、手水鉢のほとりより竹の板目(はめ)には蔦をからませ、高く吊りたる棚の上には植木鉢を置きたるに、猶表側の見付を見れば入口の庇、戸袋、板目なぞも狭き処を皆それぞれ意匠して網代、舟板、酒竹などを用ゐ云々」と、延々と引用を続けている。

 九鬼周造にとって、永井荷風なくしては成り立たぬ『「いき」の構造』のような気がしないでもない。『「いき」の構造』の内容・解釈についてはそれぞれ同書をどうぞ。(荷風と九鬼2)


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